ついに日本一! 米田 " 945 "
米田哲也投手が7月31日、日生球場での対クラウン7回戦で先発した板東投手が打たれ、大量5点のリードを許した4回表から三番手投手として登板し、金田正一(現ロッテ監督)が持っていた通算944試合の最多登板記録を更新した。初登板は阪急時代の昭和31年4月3日の対大映2回戦だった。マウンドを降りた米田投手は首にタオルを巻いてリラックスした表情で報道陣の前に姿を現し「長く投げてりゃいつか出来るこっちゃ。カネさんもこの記録を破られるのは時間の問題と思っていたやろ」と高揚感もなく淡々とコメントした。
22年間もプロの世界で投げ続けた男にとって敗戦処理としての登板は屈辱的であった筈だが、老雄は日頃から「どんな場面でも手を抜くのはプロとして失格だ」と言い続けていた通り必死で投げた。ウイニングショットのフォークボールを駆使して懸命のマウンドだった。だが現実は厳しく力の衰えは隠し難く8回表には無死から吉岡選手、大田選手に連打され佐藤文投手に後を託し降板した。「次は350勝やな。その時は良い投球をしたいね」と、あと2勝で達成する通算350勝に超ベテラン投手は早くも気持ちを切り替えている。
“ 25本は打ちたい " 羽田
羽田選手が対日ハム3回戦で自己ベストの16号本塁打を放った。1対3とリードされた6回に佐伯投手から左翼席場外への一発だった。羽田選手はこれまで昭和48年12本、49年14本、50年15本、51年6本だった。試合が引き分けに終わった為か「一応、目標は達成しました」と言葉少なだった。バディ、ジョーンズ選手の両助っ人が不振とあって羽田選手が四番の重責を任され、打率も徐々に上がってきている。この調子が続けば自己ベスト記録は大幅に伸びるだろう。四番打者として25本塁打が最低ラインだ。
ダメ外人
左足肉離れの治療でアメリカに帰国しているバディ選手が球団事務所に近況を知らせてきた。それによると7月13日に帰国した後にロスアンジェルスのF・ジョベ医師の診断を受け、骨には異常はないが左ヒザの筋肉が腫れているため炎症止めの注射治療を続けているそうだ。近鉄は目下12球団最低のチーム打率に泣いているだけに助っ人の再来日が待たれるが「いつ治るか分からんようでは話にならん。こっちに帰って来る頃には後期シーズンは決着しとるんとちゃうか。当てにはしとらんよ」と西本監督はダメ外人にすっかり愛想を尽かしているようだ。
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