今日もまた勝った。首位を独走する西武を率いる広岡監督を人は知将と呼ぶ。今の彼を見ていると私はまだ彼が30歳代の若き姿を思い出す。あの時、彼に東京オリオンズの指揮を執って貰っていたら・・・当時オリオンズのスカウト部長として永田オーナーに「広岡監督」実現を直訴した事は間違いではなかったと改めて思う。
昭和41年、広岡選手は一世を風靡した華麗で堅実な守備も寄る年波には勝てず遊撃の定位置を黒江選手に奪われかけていた。時代は長嶋・王の全盛期、川上監督の下で昭和40年・41年と連覇しV9へスタートを切った。世間では川上監督と広岡が野球観で対立していると騒がれて、一本気な気質の広岡は巨人を退団するのではと噂されていた。一方で東京オリオンズは昭和39年に就任した本堂監督の3年目で1年目は4位、2年目は5位、3年目も下位に低迷していた。現場に何かと口を出す永田オーナーが大人しくしている筈はなかった。スカウト部長でありながら永田オーナーの " 野球秘書 " のような存在でもあった私はチームには極秘で監督探しに動いていた。
私が考えていたのは34歳で現役だった広岡の抜擢だった。面識はなかったが新聞等で目にする彼の発言から「一軍の将としての器」であると確信していた。またオリオンズの本拠地は東京の下町で川上監督に反目する事で巨人を追われるストーリーは下町の江戸っ子気質から見ても人気を得るに違いないと判断した。問題は巨人・正力オーナーと昵懇の間柄である永田オーナーが遠慮をして監督招聘に待ったをかける可能性がある事だった。予想通り永田オーナーは私に次の監督を探すよう指示を出した。私は満を持して「今年のドラフトで大塚捕手、来年は八木沢投手と早大生の獲得を目指しているウチにとって早大出身の広岡氏と繋がりを持つのは大切な事。勿論、指導者としての力量も申し分なく彼以外は有り得ない」と進言したが永田オーナーは「彼も候補だが、とりあえず2~3人リストアップしとくように」と命じるに留まった。
早速に広岡周辺の調査を開始した。当時、川上監督の秘書的役割を務めていた関大出身で旧知の仲だった巨人軍の坂本広報担当に探りを入れてみると「広岡君の事なら日本テレビの越智アナウンサーがよく知っているから」と仲介された。越智さんに尋ねると「恐らく今年限りでしょう。ただ私も端くれながらも讀賣の人間ですから表だって援助は出来ませんが本人にオリオンズさんが監督として欲しがっているとお伝えしときましょう」と言ってくれた。シーズンが終わりに近づいた頃の早朝、永田オーナーから突然「きょう自宅に来て朝食を一緒に摂るように」と呼び出しがかかった。日中は多忙な永田オーナーから野球に関する呼び出しは早朝か夜の8時以降と決められていて、私は永田オーナーの自宅近くに住むように命じられていたのだ。
朝7時、「どうだ青木、来年の監督の目星はついたか?」 と朝食を摂りながら永田オーナーは機関銃のようにまくし立てた。「オーナー、広岡君で行きましょう」と私が即答すると「若過ぎないか?コーチの経験すらないのだろ」と懸念を示したが、広岡を推挙する理由を詳しく説明すると「分かった。会う段取りをつけてくれ」と決断した。永田オーナーは一度決めると行動は早い、その日のうちに広岡宅に電話を入れて是非とも会いたいと伝えたが「どういう話か存じませんがまだ巨人のユニフォームを着ている身で他球団の関係者と会う事は出来ません。もしもこの先、巨人を退団する事になったら真っ先に会う事を約束します」と直接交渉は持ち越されたが、その律儀さに永田オーナーは感服した。
正式に巨人を退団した広岡に再び電話をして「永田オーナーが是非ともお会いしたいと申しております」と告げると「礼儀としてこちらから伺います」とこちらの方が恐縮してしまう程だった。その夜、広岡宅まで迎えに行き渋谷区広尾にある永田オーナー宅に案内した。玄関から応接間に入るとあのクールな広岡が「玄関から応接間まで全て大理石とは…青木さん、我々とは桁が違いますね」と目を丸くして驚いた様子だった。永田オーナーが姿を見せた時の広岡の応対に今度は私が驚いた。いわゆる " 海軍式敬礼 " と言われる背筋をシャンと伸ばし恭しく角度をつけて一礼をし、元の直立姿勢に戻る姿は美しかった。永田オーナーが繰り出す野球に対する熱い思いを真正面から受け止め真摯に対応する姿は私がそれまでに見てきた野球選手にはない清々しい雰囲気を醸し出す好青年そのものだった。
ひとしきり話を聞き終えた広岡は身づまいを正すと「私ごとき若輩をそれほど高く評価して頂き非常に嬉しく思います。しかし " 巨人の広岡 " だけでは井の中の蛙です。いま一度野球を勉強する為にアメリカで修業をしたいと考えています」と言い、監督就任を固辞した。広岡が帰宅した後、永田オーナーは断られた事などすっかり忘れて「流石だ。惜しいが諦めるしかない。いくら説得しても陥落しない信念を持つ男だ。惜しい…」と褒めちぎった。契約金目当てに擦り寄って来る輩も多いこの世界で、明日どうなるか分からない米国に単身乗り込む度胸と見識に私も広岡達朗という男に改めて惚れ直した。
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