Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#29 伝説の投手

2009年05月17日 | 1978 年 
松坂や田中将投手のように高卒新人が活躍することも珍しくなくなりましたが、この尾崎行雄投手は
ケタ外れの怪物でした。確かに打者の打撃技術レベルは現在と比べると、昔は低かったことはある
でしょうが年齢を考慮すれば、やはり素晴らしい投手であったことは間違いありません。

厳密に言うと尾崎は高卒新人ではありませんでした。浪商高を2年で中退し'62年にプロ入り、17歳の
若さで並み居る強打者たちを手玉に取りました。開幕2日目 大毎戦 延長10回表に初登板し2・3・4番を
抑えました。特に3番 榎本、4番 山内を連続三振にとるなど完璧なデビューでした。10回裏に点が入り
初勝利も手にしました。

初登板で初勝利をあげて勢いつき、西鉄戦では6回から登板し8者連続三振を奪うなど6連勝しました。
特筆すべきはその内容で 38回 1/3 を投げて自責点は1、防御率は 0.23  奪三振 61 と驚異的でした。
最終的に1年目の成績は 20勝9敗 防 2.42 で当然、新人王を受賞しました。2年目こそ7勝に終わり
ましたが3年目から3年連続で20勝を達成しました。5年目終了時点で98勝、1年平均が約20勝という
とんでもない投手でした。

6年目の5月に100勝を達成した頃に、尾崎の肩は悲鳴をあげました。酷使によって肩はパンク、加えて
爪が割れやすいという体質も影響して怪我との戦いが続き、結局6年目は6勝に終わりました。 連投や
酷使が当たり前であった時代とはいえ、無茶な起用で潰れてしまった投手が尾崎の他にもいました。
入団から2年連続30勝をあげた権藤(中日)や入団4年間で116勝 年平均が29勝だった杉浦(南海)など
「たら・れば」になりますが実に惜しまれます。尾崎は実働12年で引退しますが7年目以降は6年間で
わずか3勝をするのが精一杯でした。

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