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# 542 ドラフトネタ 広島東洋カープ編

2018年08月01日 | 1985 年 



去年のドラ❶ 杉本正志:右ヒジの手術でちょっぴり出遅れ。嶋田(阪神)を追い抜け
6月初旬に右ヒジを手術。その為に実戦で投げたのは数試合に終わった。「完成型の嶋田、未完の大器の杉本」と言われ、箕島高時代からのライバルである嶋田投手(阪神)が脚光を浴びたのとは対照的に杉本のプロ1年目は辛抱の年となった。愛称は「キューピー」。クリッと大きな目に鼻筋の通ったハンサムボーイには似つかわしくない豪速球を投げる。杉本を見た古葉監督は「北別府が入団した時よりバランス良く投げる。球も重いし何よりスピードが素晴らしい」とベタ褒め。本人は「ヒジの具合もあるし2~3年はじっくり体力を付ける」と言っていたが、嶋田が一軍で活躍しだすと「羨ましい」と闘争心に火が点き練習にも熱が帯びてきた。

ところが5月中旬になった頃、右ヒジに痛みが走るようになった。診断結果は「関節離断性骨軟骨症」。高校時代に痛めた箇所が再び悪化したのだ。直ぐに軟骨除去手術を受け23日間の入院生活を強いられた。「毎日が退屈で死にそう」と愚痴をこぼしていたが、どうやら目からウロコが一枚も二枚も落ちた様子で藤井二軍監督から「今年は球は握らせず今後ずっと走らせてしごく」と言われても「自分でももっとやらなければと思っていましたから走ります」と不満は口にせず、退院以降は「こんなに走るのが遅い奴は見たことがない(外木場二軍投手コーチ)」と冷やかされながらも「今年の僕は陸上選手です(杉本)」と明るく大ハッスル。

そんな杉本に実戦で力を試すチャンスが巡ってきた。9月20日のウエスタンリーグの阪神戦。両親をスタンドに招いての登板は4イニングで3安打・3失点だった。「プロのストライクゾーンは本当に小さく感じた(杉本)」が降板後の感想だった。だが将来性を感じさせる場面もあった。「球が重くて、こんな凄い球は初めてで驚きました」と話すのは杉本と対戦した同じく高卒ルーキーの中村選手(中日)。藤井二軍監督ら首脳陣も「速さだけなら一軍レベル」と評価する。「早く一軍に上がって満員のスタンドで投げてみたい(杉本)」の夢を実現させる為に目下、アメリカの教育リーグで武者修行に明け暮れている。逞しく成長した杉本の雄姿を目にするのも間もなくだろう。



【 運命のドラフト当日:川端 順】
その日は日本から遠く離れたオーストラリアにいた。春と夏の社会人野球大会で優勝した御褒美を兼ねた海外遠征の最中だった。川端は「あの日(昭和58年11月22日)はどこの球団に指名されるかドキドキしながらホテルの監督さんの部屋で伊藤(現広島)、青木(現大洋)と一緒に結果を待っていました」と当日を振り返った。広島から1位で指名されたが本人にとっては意外な結果だったという。「大洋を除いた11球団から挨拶はあったけど広島はそんなに熱心じゃなかったですね(笑)感触としてはロッテか阪急かなと思っていました」と。年齢的に指名された球団に行こうと決めていたが巨人か西武だったら断るつもりだった。「強いチームに勝つ方が気持ちいいから」と本人は言う。2年目の今季、11勝7敗7Sで見事に新人王に輝いた。



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