
居串佳一(1911~55)は、野付牛村相内(現北見市)生まれ、網走育ちの画家。
いまは言及されることが少ないが、道立近代美術館編のミュージアム新書(北海道新聞社発行)にも「居串佳一」という本があるし、東京国立近代美術館にも作品が所蔵されており、決して無名の画家ではない。生誕100年を迎え、網走市立美術館が所蔵品を再調査するとともに、市内外の個人や学校、美術館、団体が所蔵する作品をかり集め、大規模な回顧展を開催中だ。
展示作はおよそ130点に上り、通常は常設展示をしている部屋も含めた全室を使っている。
圧巻であり、あらためて、この画家が北海道美術史に残るひとりであることを確認した思いだ。それと同時に、パリへ渡ることを望みながら果たせず、44歳で亡くなったことの無念さも、伝わってくるようだった。
ところで、私見だが、居串の画業はおおざっぱに
1、初期
2、「氷上漁業」に代表されるキュビスムに影響された時期
3、「朝霧」(チラシの絵)などの、劇画っぽい時期
の3期に分けられると考えてきた。
「朝霧」が道立近代美術館の所蔵なので、札幌など道内の美術好きには、劇画っぽい画風が知られているのではないだろうか。
ただ、個人的には、劇画期より、「氷上漁業」「採氷風景」といった作品の方が好きだった。自然を三角や四角など単純な図形で再構成して把握しようとする姿勢に、画家の強い意思が感じられたからだ。
しかし今回、初めてたくさんの作品を見て、ひとくちに「劇画っぽい時期」といっても、さまざまな作品があり、「朝霧」よりも迫力に富む絵もあることがわかった。
「2」から「3」への転換は、1936年(昭和11年)の途中、唐突に訪れる。
「2」の最後が「氷上漁業」であり、「3」の最初は「海に生く」である。いずれも、第6回独立展の出品作であるから、おなじ独立美術の会場にまったく異なる画風の作品が並んだことになる。
この間に、上京と、満洲旅行という、二つの大きな出来事が起きている。
蛇足になるかもしれないが、当時の満洲は、形式上は独立国家であったが、実際には日本の勢力下にあり、日本の時刻表に満洲の鉄道の時間も掲載されていた。
満洲の印象は、この後の居串の絵画に大きく刻印されたのではないかというのが、筆者の感想だ。
たとえば、1939年の「漂泊」。
第9回独立展の出品作で、この頃の大作の主調色となる深いモスグリーンが、この絵でも基調をなしている。
目を引くのが、画面左側に立つふたりの女性。
左の女性の表情は見えないが、右側の女性が長いラッパを吹き鳴らすことで、全体がなにか神話的な雰囲気を帯びる。
足元には1匹の犬。地面はさまざまな色が散らばっているが、海岸なのか畑なのか、どんな土地なのかは判然としない。青緑の空にはカモメらしき鳥が舞っている。
あるいは1940年の「曠原」。
群像画である。手前に家族とおぼしき5人が描かれている。かたわらに羊もいる。
しかし、5人の表情はうつろだ。
まるで、なにかの難を逃れてきたように感じられる。
というのは、中景にも別のグループが描かれているのだが、遠景には、川の向こうに、満洲のハルピンかどこかとおぼしき都市が望まれ、教会のような堂宇の脇から二筋の煙が立ち上っているからだ。
家族は、火災を逃れてきたのだろうか。
ところで、満洲らしき広野に5人が描かれているとなると、いやでもつぎのスローガンを思いだしてしまう。
五族協和、である。
これは、日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人による「五族協和」という、満洲国建国の理念とされたものだが、日本の支配的地位を巧妙に隠す役割を結果的に果たしていたことは否定できないだろう。
5人が難民のような表情をしていることに、画家の批判的なまなざしを見たくなる欲求に駆られてしまうのだ。
もちろん、居串が「反戦画家」だったというわけではない。
むしろ反対で、従軍画家として千島に渡ったり、戦時特別美術展覧会に出品したりしている。
戦時の居串は「劇画調」であるから、他の前衛画家のように、急に写実調になったりする不自然さなどは感じられない。
肥痩のある輪郭線などは、ダイナミックな描写に向いているのである。
さらにいえば、「午睡」(1943年)は、牛の背中に少年が寝そべるという、一見ほほえましい絵柄であるが、背景にパゴタのような塔が見えており、ビルマを思わせる。
何気ない絵の中にも、大東亜共栄圏を掲げて戦線を拡大していった当時の時代が透けて見えるのである。
さて、ドラマチックな輪郭線は最晩年、影をひそめ、「コタンの伝説」「チパシリユーカラの女」といった作品は、ひょっとしたら未完成ではないかと思えるほどのシンプルな構図である。
「笛(ユーカラの笛)」は、縦長の画面に4人を巧みに配置し、「漂泊」などとは別の意味で、古代の神話的な雰囲気を漂わせている。
あるいは、「群像」「裁」は、裸婦数人を配した、幻想味も感じさせる作である。
網走川の河口附近の造船所などに材を得た風景画も数点あり、「次」の展開が、まだ定まっていないようである。
こうして見ていくと、さらなる画業の発展をめざして試行錯誤していた最中に、とつぜんの病気で画業がぷっつりと断ち切られてしまったのだな~という感が強い。
画業の完成前、画風の安定前に早世してしまい、なんとも気の毒だ。釧路ゆかりの画家、増田誠が、地元のバックアップで渡欧できた経緯を見てきたばかりなだけに、居串佳一もパリに行っておればまた新たな展開があったのかもしれないという思いもわいてくる(これはもちろん、釧路に比べて網走の人が冷たいとか、そういうことを言っているわけではないです)。
こうして見ると、徴兵されたわけではないにせよ、戦争と時代に翻弄された面があることは、否定できないように思われるのである。
2011年9月10日(土)~11月6日(日)9:00am~5:00pm(初日は10時から)
網走市立美術館(網走市南6西1)
高校生以上500円(20人以上の団体400円)、小中学生250円(同200円)
□「北海道人」の関連ページ http://www.hokkaido-jin.jp/issue/sp/200608_2/sp_02.html
・JR網走駅から1.2キロ、徒歩16分
・網走バスターミナルから330メートル、徒歩5分
いまは言及されることが少ないが、道立近代美術館編のミュージアム新書(北海道新聞社発行)にも「居串佳一」という本があるし、東京国立近代美術館にも作品が所蔵されており、決して無名の画家ではない。生誕100年を迎え、網走市立美術館が所蔵品を再調査するとともに、市内外の個人や学校、美術館、団体が所蔵する作品をかり集め、大規模な回顧展を開催中だ。
展示作はおよそ130点に上り、通常は常設展示をしている部屋も含めた全室を使っている。
圧巻であり、あらためて、この画家が北海道美術史に残るひとりであることを確認した思いだ。それと同時に、パリへ渡ることを望みながら果たせず、44歳で亡くなったことの無念さも、伝わってくるようだった。
ところで、私見だが、居串の画業はおおざっぱに
1、初期
2、「氷上漁業」に代表されるキュビスムに影響された時期
3、「朝霧」(チラシの絵)などの、劇画っぽい時期
の3期に分けられると考えてきた。
「朝霧」が道立近代美術館の所蔵なので、札幌など道内の美術好きには、劇画っぽい画風が知られているのではないだろうか。
ただ、個人的には、劇画期より、「氷上漁業」「採氷風景」といった作品の方が好きだった。自然を三角や四角など単純な図形で再構成して把握しようとする姿勢に、画家の強い意思が感じられたからだ。
しかし今回、初めてたくさんの作品を見て、ひとくちに「劇画っぽい時期」といっても、さまざまな作品があり、「朝霧」よりも迫力に富む絵もあることがわかった。
「2」から「3」への転換は、1936年(昭和11年)の途中、唐突に訪れる。
「2」の最後が「氷上漁業」であり、「3」の最初は「海に生く」である。いずれも、第6回独立展の出品作であるから、おなじ独立美術の会場にまったく異なる画風の作品が並んだことになる。
この間に、上京と、満洲旅行という、二つの大きな出来事が起きている。
蛇足になるかもしれないが、当時の満洲は、形式上は独立国家であったが、実際には日本の勢力下にあり、日本の時刻表に満洲の鉄道の時間も掲載されていた。
満洲の印象は、この後の居串の絵画に大きく刻印されたのではないかというのが、筆者の感想だ。
たとえば、1939年の「漂泊」。
第9回独立展の出品作で、この頃の大作の主調色となる深いモスグリーンが、この絵でも基調をなしている。
目を引くのが、画面左側に立つふたりの女性。
左の女性の表情は見えないが、右側の女性が長いラッパを吹き鳴らすことで、全体がなにか神話的な雰囲気を帯びる。
足元には1匹の犬。地面はさまざまな色が散らばっているが、海岸なのか畑なのか、どんな土地なのかは判然としない。青緑の空にはカモメらしき鳥が舞っている。
あるいは1940年の「曠原」。
群像画である。手前に家族とおぼしき5人が描かれている。かたわらに羊もいる。
しかし、5人の表情はうつろだ。
まるで、なにかの難を逃れてきたように感じられる。
というのは、中景にも別のグループが描かれているのだが、遠景には、川の向こうに、満洲のハルピンかどこかとおぼしき都市が望まれ、教会のような堂宇の脇から二筋の煙が立ち上っているからだ。
家族は、火災を逃れてきたのだろうか。
ところで、満洲らしき広野に5人が描かれているとなると、いやでもつぎのスローガンを思いだしてしまう。
五族協和、である。
これは、日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人による「五族協和」という、満洲国建国の理念とされたものだが、日本の支配的地位を巧妙に隠す役割を結果的に果たしていたことは否定できないだろう。
5人が難民のような表情をしていることに、画家の批判的なまなざしを見たくなる欲求に駆られてしまうのだ。
もちろん、居串が「反戦画家」だったというわけではない。
むしろ反対で、従軍画家として千島に渡ったり、戦時特別美術展覧会に出品したりしている。
戦時の居串は「劇画調」であるから、他の前衛画家のように、急に写実調になったりする不自然さなどは感じられない。
肥痩のある輪郭線などは、ダイナミックな描写に向いているのである。
さらにいえば、「午睡」(1943年)は、牛の背中に少年が寝そべるという、一見ほほえましい絵柄であるが、背景にパゴタのような塔が見えており、ビルマを思わせる。
何気ない絵の中にも、大東亜共栄圏を掲げて戦線を拡大していった当時の時代が透けて見えるのである。
さて、ドラマチックな輪郭線は最晩年、影をひそめ、「コタンの伝説」「チパシリユーカラの女」といった作品は、ひょっとしたら未完成ではないかと思えるほどのシンプルな構図である。
「笛(ユーカラの笛)」は、縦長の画面に4人を巧みに配置し、「漂泊」などとは別の意味で、古代の神話的な雰囲気を漂わせている。
あるいは、「群像」「裁」は、裸婦数人を配した、幻想味も感じさせる作である。
網走川の河口附近の造船所などに材を得た風景画も数点あり、「次」の展開が、まだ定まっていないようである。
こうして見ていくと、さらなる画業の発展をめざして試行錯誤していた最中に、とつぜんの病気で画業がぷっつりと断ち切られてしまったのだな~という感が強い。
画業の完成前、画風の安定前に早世してしまい、なんとも気の毒だ。釧路ゆかりの画家、増田誠が、地元のバックアップで渡欧できた経緯を見てきたばかりなだけに、居串佳一もパリに行っておればまた新たな展開があったのかもしれないという思いもわいてくる(これはもちろん、釧路に比べて網走の人が冷たいとか、そういうことを言っているわけではないです)。
こうして見ると、徴兵されたわけではないにせよ、戦争と時代に翻弄された面があることは、否定できないように思われるのである。
2011年9月10日(土)~11月6日(日)9:00am~5:00pm(初日は10時から)
網走市立美術館(網走市南6西1)
高校生以上500円(20人以上の団体400円)、小中学生250円(同200円)
□「北海道人」の関連ページ http://www.hokkaido-jin.jp/issue/sp/200608_2/sp_02.html
・JR網走駅から1.2キロ、徒歩16分
・網走バスターミナルから330メートル、徒歩5分