線翔庵日記



おまつり、民謡、三絃、名水、温泉、酒、そして音楽のこと…日々感じたことを綴ります。

純邦楽器版『冬のソナタ』

2005年01月31日 19時43分37秒 | 音楽
「邦楽」という言葉は、本来「本邦音楽」の略語であって「日本音楽」をさすものです。一般的なイメージでは、近世邦楽=箏曲や長唄…といったものを思い浮かべることが多いかと思われます。ちなみに雅楽や能・狂言、はてまた民謡やお囃子に至っては本来的には「邦楽」なんでしょうけれど、あまり「邦楽」と言わないですね。
また音楽情報産業界では「洋楽」の反義語として「邦楽」というと、日本人アーティストのものをさすことが多いです。ですからCDショップへ行って「邦楽」コーナーへ行くと、箏曲などは置いてないですね。
では…そうしたジャンルは一体どこに?そうです!純邦楽!なんじゃそりゃ?って感じの言葉ですね…s(・`∩´・;)ゞ

それはさておき、さっきテレビで邦楽も邦楽、三曲の合奏をやってました。八橋検校の名作《六段の調》も三曲でやってました。いいですね、こういう曲は!
しかし!驚いたのは、尺八と箏、十七絃の合奏で『冬のソナタ』の「最初から最後まで」を演奏してました。どうもこういうのは理解できません。あの曲は、ピアノのイントロが印象的なのであって、何もわざわざ「邦楽器」で演奏する必然性は全く感じられない。
まあ、遊びでやってみました…ということで楽しんでるんだ!と言われれば、それまでですが、聴いていてあんまり面白くもない。しかも尺八の音程の悪いこと…。アルトリコーダーで吹いた方がよっぽどまし!

もともと邦楽器のために作られた曲を五線譜で演奏することは、作曲者の意図もあって意味もありますが、わざわざ邦楽器用にアレンジまでして、邦楽器に合わない「邦楽でもない」曲をコンサートで演奏するのはどうでしょうか。
かつて「お琴でビートルズ」とか「お琴でモーツァルト」というのが流行った時期もありました。
しかし…もうそんな時代ではないと思います。邦楽器を追究する方向性が違うのではないでしょうか!?もう実験的なことをやめて、『六段』や『春の海』のような後世に愛される「名曲」を残さないと、それこそ邦楽の将来は…暗いような気がします。
コメント
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