今日は2月14日。文部省唱歌《ふるさと》を作詞した高野辰之にとって、忘れ得ぬ日であったにちがいない。
東京帝國大學から文学博士の学位授かったのが大正14年。その祝賀として、東京から9時間かけて、故郷・永江村に向かう飯山線・替佐駅に降り立ったのが、その年の2月14日の夕刻であったそうだ。
その替佐駅には、高野辰之を出迎える村人であふれかえったということだ。まさに「志をはたした」日であったのだろう。
文部省唱歌《ふるさと》は大正3年に発表された。当時は東京音楽学校(現・東京芸大)の教授であり、作曲は同校の助教授・岡野貞一だ。
高野辰之が《ふるさと》を発表して11年後に「こころざし」がはたせた。しかし、この詩を書いたときは、どんな気持ちであったのだろうか。帰りたくても帰れない…というような思いでもあったのだろうか。
そんなことを想像して《ふるさと》を歌ってみよう。
志をはたして いつの日にか帰らん
8月に訪ねた、飯山線・替佐駅。この駅舎は、もちろん当時のままではない。中に入ると、高野辰之が生きた時代の駅舎の写真が飾られ、このエピソードが紹介されていた。
音楽の味わい…こんな背景にふれて歌うのもいいと思う。
東京帝國大學から文学博士の学位授かったのが大正14年。その祝賀として、東京から9時間かけて、故郷・永江村に向かう飯山線・替佐駅に降り立ったのが、その年の2月14日の夕刻であったそうだ。
その替佐駅には、高野辰之を出迎える村人であふれかえったということだ。まさに「志をはたした」日であったのだろう。
文部省唱歌《ふるさと》は大正3年に発表された。当時は東京音楽学校(現・東京芸大)の教授であり、作曲は同校の助教授・岡野貞一だ。
高野辰之が《ふるさと》を発表して11年後に「こころざし」がはたせた。しかし、この詩を書いたときは、どんな気持ちであったのだろうか。帰りたくても帰れない…というような思いでもあったのだろうか。
そんなことを想像して《ふるさと》を歌ってみよう。
志をはたして いつの日にか帰らん
8月に訪ねた、飯山線・替佐駅。この駅舎は、もちろん当時のままではない。中に入ると、高野辰之が生きた時代の駅舎の写真が飾られ、このエピソードが紹介されていた。
音楽の味わい…こんな背景にふれて歌うのもいいと思う。