文部省唱歌《ふるさと》という曲がある。現在、学習指導要領には共通歌唱教材として、小学校6年生の音楽の教科書に載っている。
作詞は高野辰之。作曲は岡野貞一。
高野は長野県生まれ。現在は中野市になったが、旧豊田村永江の出身だ。
うさぎ追いし かの山
こぶな釣りし かの川
夢は今も めぐりて
わすれがたき ふるさと
いかにいます 父母
つつがなしや 友がき
雨に風に つけても
思いいづる ふるさと
こころざしを はたして
いつの日にか 帰らん
山は青き ふるさと
水は清き ふるさと
この曲は、ふるさとを思う人々にとって、どれほど歌われてきたことだろうか。
自分も大好きな曲である。好きすぎて、ちょっと歌えないくらいの思いであった時期もあった。
この曲の背景である高野辰之のふるさと、中野市永江を昨年の夏に訪れた。
生家は現在でも残されている。
現在でも辰之の親戚筋の末裔のかたが住んでおられる。
永江で生まれ、師範学校を卒業し、永江学校の代用教員として勤める。この学校は位置をかえて永田小学校となっているが、永江学校の場所は、現在は高野辰之記念館になっている。
ここには、銅像も建てられている。
この永江地区は、現在でも《ふるさと》のイメージをふくらめてくれる風景が残されている。
これは、「うさぎ追いしかの山」と歌われた「大持山」。
これは、「こぶな釣りしかの川」と歌われた「斑川」。
こんな風景が、今でも見ることができる。
辰之は、更に上京し、苦学ののち、国文学者として成功する。そして、故郷へもどる辰之を村人たちが出迎えたというのが、飯山線替佐駅だ。
この替佐駅は、もちろん当時のままではない。そして、ふるさとへ戻る人々だけでなく、ふるさとを旅立っていく人々を見つめてきた、北信濃の小さな駅だ。
こうした風景を思い浮かべながら、《ふるさと》を歌ってみるのもいいね…。
作詞は高野辰之。作曲は岡野貞一。
高野は長野県生まれ。現在は中野市になったが、旧豊田村永江の出身だ。
うさぎ追いし かの山
こぶな釣りし かの川
夢は今も めぐりて
わすれがたき ふるさと
いかにいます 父母
つつがなしや 友がき
雨に風に つけても
思いいづる ふるさと
こころざしを はたして
いつの日にか 帰らん
山は青き ふるさと
水は清き ふるさと
この曲は、ふるさとを思う人々にとって、どれほど歌われてきたことだろうか。
自分も大好きな曲である。好きすぎて、ちょっと歌えないくらいの思いであった時期もあった。
この曲の背景である高野辰之のふるさと、中野市永江を昨年の夏に訪れた。
生家は現在でも残されている。
現在でも辰之の親戚筋の末裔のかたが住んでおられる。
永江で生まれ、師範学校を卒業し、永江学校の代用教員として勤める。この学校は位置をかえて永田小学校となっているが、永江学校の場所は、現在は高野辰之記念館になっている。
ここには、銅像も建てられている。
この永江地区は、現在でも《ふるさと》のイメージをふくらめてくれる風景が残されている。
これは、「うさぎ追いしかの山」と歌われた「大持山」。
これは、「こぶな釣りしかの川」と歌われた「斑川」。
こんな風景が、今でも見ることができる。
辰之は、更に上京し、苦学ののち、国文学者として成功する。そして、故郷へもどる辰之を村人たちが出迎えたというのが、飯山線替佐駅だ。
この替佐駅は、もちろん当時のままではない。そして、ふるさとへ戻る人々だけでなく、ふるさとを旅立っていく人々を見つめてきた、北信濃の小さな駅だ。
こうした風景を思い浮かべながら、《ふるさと》を歌ってみるのもいいね…。