線翔庵日記



おまつり、民謡、三絃、名水、温泉、酒、そして音楽のこと…日々感じたことを綴ります。

追分節発祥の地を訪ねる

2009年07月30日 22時24分34秒 | 民謡
今日は、北佐久郡軽井沢町の大賀ホールでのコンサートを聴きに行く日。せっかく軽井沢へ行くなら…っと、今回は年休を取って、朝から出かけてみた。

軽井沢町といえば、避暑地のイメージだが、かつて中山道が通り、上州から信州へ入っての最初の宿場があった土地だ。そして、北国街道との分かれ目=分去れのある追分宿で歌われた唄が全国に広まり、民謡の王様《江差追分》 となるという。

今日は、久しぶりに追分宿から散策する。

上田からは小諸を通って行く。今回は途中で巨木も探しながらのドライブで、基本は国道18号線で行く

まず「分去れ」。

右が北国街道。左が中山道。この場所が、いわゆる「追分」だ。《信濃追分》にも、
●右は更級 左は吉野ヨ 月と花との ここが追分♪
という歌詞がある。まさにこの場所だ。

そして旧道を通ってみる。入り口には茶屋のあとといわれるところがあって、昔ながらの看板が残っている。


●追分枡形の 茶屋でヨ ホロと泣いたは 忘らりょか♪
と歌われた茶屋だろうか。

通りに面したところには、かつての「屋号」を書き出してあるので、面白い。なかに「油屋」さんを見つける。ここのご主人、亡くなられた小川さんが伝える《追分馬子唄》が現在でも歌われている。

●西は追分 東は関所 関所越ゆれば 旅の空♪

今日出かけたら「しなの追分馬子唄道中」という提灯が、ずらっと並んでいた。イベントは終わったあとらしい。

もう少し行くと「浅間神社」がある。この境内に松尾芭蕉の
<吹き飛ばす 石も浅間の 野分哉>
の句碑がある。

やはり《追分節》に、
●吹き飛ばす石も 浅間の野分と詠んでヨ 芭蕉翁は 江戸へ去る
というのを思い出す。

この境内に「追分節発祥の地」の碑がある。


また、隣接して「追分郷土資料館」がある。ここへも寄ってみた。入ると、宿場の様子や、かつて使われていた衣食住に関わる展示物がならぶ。入り口には「追分節」のコーナーもあり、ボタンを押すと、油屋・小川誠一郎さんの《追分馬子唄》が流れる装置があった。
ここでは、特に「追分節」の資料が手に入るわけではないが、宿場の雰囲気を知るにはいい場所だ。

さて、追分宿をあとにする。
ここまで来れば、
●碓氷峠の権現様はヨ 主のためには 守り神♪
と歌われた、旧碓氷峠の「熊野権現」へも行くしかないな。

今日は平日ではあったが、さすが軽井沢。結構自動車が多い。そして「旧軽通り」は、すごい人出だった。それを横目に見て、旧道を行く。峠道は、そこそこの木々が緑のトンネルのようになっている。
そしていよいよ熊野神社へ着く。

懐かしい!何年ぶりだろう。目の前の「しげの屋」さんに駐車して、参拝へ。
この石段、そして拝殿の中心ラインが群馬・長野の県境。

門前まで来ると、あった!石の風車。

●碓氷峠のあの風車 誰を待つやら くるくると♪
と歌われたところだ(ただし、これは風車ではなく、寄贈者の石造の家紋なのだそうだ)。


そして参拝。向かって右側の上州側が「熊野神社」。左側の信州側が「熊野皇大神社」。社名が違うのだ。

そして信州側の方に「シナノキ」の巨木がある。実は、これも目当てだ。5mほどの大木。「信濃の国」の元となった「科の木」である。

参拝後は、熊野権現だけに「烏午王」のお守り、サッカー日本代表のデザインの三本足の「ヤタガラス」のお守りなどを買ってみた。

そして鳥居前の「しげの屋」さんで一休み。名物は「力餅」。入店すると「力餅氷」の文字が…。すかさず注文。抹茶のかき氷の上に、あんこの力餅が5つほどのっている。美味しかった~!
 

こうして「追分節」に関わる場所を巡る、プチドライブを終了。

この後、初めての「大賀ホール」へ。コンサートへ向かった。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 線翔庵開設8周年 | トップ | 伊那~木曽を巡る① »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

民謡」カテゴリの最新記事