YouTubeで電車を降りて改札を出て、目指す路線までの乗り換えの方法を教えてくれる動画がある。
まだインターネットなどない頃は動画など無いし、地図で調べるしかなかったが、何度も確認したはずなのにそれでも迷う場合があった。
インターネットが普及すると、ストリートビューでも確認できるし、スマホでも目的地がわかるようになった。
都心などはじめての場所に行くときは、この乗り換え動画をチェックして「ここの角を左、そして右に曲がりエスカレーターで地中深くもぐるとホームがある」
と確認する。
携帯電話じじばばは、目的地にいる人に電話をするしかないのに対し、スマホじじばばは地図が見られるので、迷わないのではないかと思うのだが、やはり迷う。
スマホを見ても方向音痴全員がスムーズに目的地に到着できるわけではないのだ。
方向音痴じじばばは、スマホの画面を見るのに必死である。
立ち止まって確認すればいいのに、とぼとぼと歩き、ときおりはっと顔をあげて、きょろきょろと周囲を見渡す。
そしてまたスマホを凝視しながら歩きはじめ、様々な物にぶつかりそうになっている。
歩きスマホをしている人が前からくると、若い人たちはまだ接触の危険を察知して、すんでのところで避けてくれる。
だがじじばばの場合はすべての感覚が鈍くなっているので、どすっとぶつかるまで気がつかない。
ぶつかった相手が人間ならまだいいが、街頭や歩道の立て看板などに激突すると転んで怪我でもしたら大変だ。
じじばばたちは高いスマホを買ったのだから、画面を見続けなくては損と考えているのか、絶対的に信頼しているのか。
画面の地図を凝視しながら、間違った方向へと歩き続ける。
携帯やスマホといった文明の利器よりも、申し訳ないけれども周囲にいる親切な人たちに甘えさせていただき、教えてもらった方が、よっぽど手っ取り早くかつ安全に違いないと思うのでした。