浜田屋遼太

世の中のために何の役にも立たないブログ  お暇なお方は是非どうぞ(^^♪

室内も危険がいっぱい

2021-03-06 | 定年波止場

10代、20代の頃と違い、徹夜ができなくなったとか、疲れが取れなくなったとか、30代になって年齢というものを感じるようになったりしたものだ。

還暦を過ぎると、そういったことを改めて言うほどでもなくなった。

当時は無理すると、その後の体調変化に驚いていたが、この歳になると無理をすることすらできないので、ただただ毎日がフラットな感じになっている。

そのなかで体調が今一つの日や、元気な日もあるといった感じなのだ。

高齢者の室内での死亡事故が、年間で交通事故死よりも多いと聞いたとき「へえ、そんなことがあるのか」と半信半疑だった。

でも還暦を過ぎると「そうかもしれない」と深く納得した。

何もない平らな場所でつまずいて転ぶのである。

それで膝や胴体を打ちつけたりする人も多く、今は打ち身程度で済んでいるけれど、タイミングが悪かったら一大事になるかもしれない。

加齢とともに反応が鈍くなり、想像もしていなかったアクシデントに見舞われる可能性も高くなった。

外に出るよりも家の中のほうが、危険がいっぱいなのである。

歳を重ねて一番衝撃だったのが、本来ならばリラックスできるはずの室内の生活が実は危ない、ということだったかもしれない。

外見、記憶の老化については理解していたが、こうなってしまうとは知らなかった。

ショックは受けたけれど、現実なのだから仕方がない。

何事があっても「なるほど、気をつけなければ」

とうなずく、対処法はこれしかないと淡々と受け入れ続けるいるのである。

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妻には勝てぬ

2021-03-06 | 日々是好日

妻にはどう対処するか。

妻にどう接するか。

これは誰もが大いに悩むところである。

妻は誰にとっても厄介なものであり、悩みの種でもある。

ここで言う妻とは、刺身の方の妻である。

この歳になって初めて知ったのだが、刺身のそばにいつも付き添っている大根などを刻んだもの、あれが妻。

いつも夫のそばに付き添っている、二本の大根状の足を備えているのも妻。

同じ妻である          

妻には大根の妻、ニンジンの妻、紫蘇の妻、海藻の妻、美人の妻、あ、間違えた。

まぁいろいろあるが、刺身の妻のほうではなく、つまり本当の妻、つまり本妻のほうの妻と、刺身のほうの妻との間には共通点がある。

「扱いに困る」という共通点である。

刺身の妻は、その役割に曖昧なところがある。

とりあえず食べてもいい、と同時に飾り物でもあるらしい、と同時に刺身の敷きものでもあるらしい。

「食べてもいいらしい」ということは「食べなくてもいい」の意を含む。

刺身の妻は、このように食べなくても悩むし食べても悩む厄介ものである。

刺身の妻に関するマナーは、どんな本にも書いてない。

小笠原家も、なぜかこのことには触れないようにしているらしい。

触らぬ妻にたたりなし、でしょうか。

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