浜田屋遼太

世の中のために何の役にも立たないブログ  お暇なお方は是非どうぞ(^^♪

黄砂

2021-03-30 | 日々是好日

松江市東出雲町揖屋干拓の桜並木          

遠くの山の稜線は霞んで見えない。

凄まじいまでの大陸からの黄砂。

視界距離5キロあたりでしょうか。

霧とは違った視界不良、健康被害も叫ばれている。

昔は春霞とか呼んで、季節の風物詩であったような気がするが…

時が移り、大陸から飛んでくる黄砂やPM2.5は迷惑極まりないものであります。

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瓶ビールと缶ビール

2021-03-30 | 日々是好日

家庭の冷蔵庫で冷えているビールは瓶ビールか、缶ビールか

「ウチは瓶です」というウチが減って、「ウチは缶です」というウチが増えているのではないだろうか。

缶ビールの利点は多い。

運ぶのに軽く、冷蔵庫に収めやすく、小容量だから気軽に飲める。

対する瓶ビールは運ぶのに重く、冷蔵庫に収まりが悪く、大瓶一本では気軽に飲めない。

大瓶を一本飲むには、それなりの不退転の決意、というものが要る。

缶ビールは指一本で開けられるが、瓶ビールは栓抜きがないと開けられない。

缶ビールはすぐ冷えるが、瓶ビールは冷やすのに時間がかかる。

あれこれ考えると、缶ビールは時代の要請ということができる。

缶ビールは世にもてはやされ、瓶ビールは次第に駆逐されていくのであろう。

だが、はたしてそうだろうか。

例えば結婚披露宴ではどうなる。

乾杯の前に手に手に缶ビールを持って、グラスにビールをドバドバついでいいものか。

結婚披露宴は、お年寄りも多いから、当然そっちの方面から文句が出る。

「瓶はないのか瓶は」ということになる。

「缶でつぐなんて、バカンすんのか」と怒るに違いない。

こうした場所では、缶ビールはまだ市民権を得ていない日陰の身の上である。

瓶ビール正式、缶ビール非公式の図式が厳然とあるのだ。

ではなぜ瓶ビールは偉くて、缶ビールは偉くないのか。

瓶ビールは正式で、缶ビールはなぜ失礼なのか。

なぜなのか…すぐには答えられない。

 

一度グラスに注がれて飲まれる缶ビールはまだいい。

いきなり缶に口をつけられて飲まれる缶ビールほど不幸なものはない。

闇の世界から、一瞬の光を垣間見ただけで、再び闇の世界へ直行していくのである。

缶ビールが宿命として持っている不幸を、人々は薄々感じとっている。

なので缶ビールを祝いの席に出してもらえない。

それゆえに、瓶ビール公式、缶ビール非公式の図式が成り立つのではないだろうか。

 

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