松江市東出雲町揖屋干拓の桜並木
遠くの山の稜線は霞んで見えない。
凄まじいまでの大陸からの黄砂。
視界距離5キロあたりでしょうか。
霧とは違った視界不良、健康被害も叫ばれている。
昔は春霞とか呼んで、季節の風物詩であったような気がするが…
時が移り、大陸から飛んでくる黄砂やPM2.5は迷惑極まりないものであります。
松江市東出雲町揖屋干拓の桜並木
遠くの山の稜線は霞んで見えない。
凄まじいまでの大陸からの黄砂。
視界距離5キロあたりでしょうか。
霧とは違った視界不良、健康被害も叫ばれている。
昔は春霞とか呼んで、季節の風物詩であったような気がするが…
時が移り、大陸から飛んでくる黄砂やPM2.5は迷惑極まりないものであります。
家庭の冷蔵庫で冷えているビールは瓶ビールか、缶ビールか
「ウチは瓶です」というウチが減って、「ウチは缶です」というウチが増えているのではないだろうか。
缶ビールの利点は多い。
運ぶのに軽く、冷蔵庫に収めやすく、小容量だから気軽に飲める。
対する瓶ビールは運ぶのに重く、冷蔵庫に収まりが悪く、大瓶一本では気軽に飲めない。
大瓶を一本飲むには、それなりの不退転の決意、というものが要る。
缶ビールは指一本で開けられるが、瓶ビールは栓抜きがないと開けられない。
缶ビールはすぐ冷えるが、瓶ビールは冷やすのに時間がかかる。
あれこれ考えると、缶ビールは時代の要請ということができる。
缶ビールは世にもてはやされ、瓶ビールは次第に駆逐されていくのであろう。
だが、はたしてそうだろうか。
例えば結婚披露宴ではどうなる。
乾杯の前に手に手に缶ビールを持って、グラスにビールをドバドバついでいいものか。
結婚披露宴は、お年寄りも多いから、当然そっちの方面から文句が出る。
「瓶はないのか瓶は」ということになる。
「缶でつぐなんて、バカンすんのか」と怒るに違いない。
こうした場所では、缶ビールはまだ市民権を得ていない日陰の身の上である。
瓶ビール正式、缶ビール非公式の図式が厳然とあるのだ。
ではなぜ瓶ビールは偉くて、缶ビールは偉くないのか。
瓶ビールは正式で、缶ビールはなぜ失礼なのか。
なぜなのか…すぐには答えられない。
一度グラスに注がれて飲まれる缶ビールはまだいい。
いきなり缶に口をつけられて飲まれる缶ビールほど不幸なものはない。
闇の世界から、一瞬の光を垣間見ただけで、再び闇の世界へ直行していくのである。
缶ビールが宿命として持っている不幸を、人々は薄々感じとっている。
なので缶ビールを祝いの席に出してもらえない。
それゆえに、瓶ビール公式、缶ビール非公式の図式が成り立つのではないだろうか。