日本人は恥だけはかきたくない、みんなそういう思いで生きてきた。
恥をかくぐらいなら腹かっ切って死ぬ、という人さえいた。
そして今、日本は急に「恥OK」の時代になった。
昨今の社会状況の随所において、それは顕著である。
恥の一つや二つ、謝罪会見さえすればそれは急に無かったことになる、という風潮になってきた。
最近はやりの「忖度」、みんなはうっかり見逃しているが、これは巧妙なズルである。
忖度は一見ズルに見えないが、忖度を「おべっか」という言葉に置き換えてみると、その実態は明らかになる。
もうみんな忘れてるかもしれないが、例の「森友学園疑惑」のとき、財務省元理財局長の国会での数々の証言。
あれはすべて安倍首相に対してのおべっかであった。
ズルはズルいのでズルく作られる。
ズルく構築されているので人はなかなかズルに気がつかない。
気がついてみたらあれはズルだった、ということはよくある。
人はなぜズルをするかというと、ズルは得につながっているからである。
人はズルによって何らかの利益を得る。
「このたび世間をお騒がせして」くらいのことなど確かに大したことではないかもしれないが、それにしてもたびたび「お騒がせ」がある。
そのたびに謝罪会見があると、これでいいのだろうかと思わざるを得ない。
みんな慣れっこになっていて、いとも簡単に軽々と頭を下げる。
4人とか5人とかが一列に立ち並び、そのうちの一人が「このたびは世間をお騒がせしてウンヌン」
と言い終わると、お互い目配せしてセーノで一斉に頭を3秒ほど下げ、また目配せして「こんなもんでいいんじゃないの」と頷き合い一斉に頭を上げる。
行事化とでもいうのか儀式化というのか祭事化というのか、そういう傾向になりつつある。
いくらなんでもまずいでしょ、この傾向は。
ズルは恥ずかしいことであったのに、恥ずかしくないことになってきた。
恥を恥とは思わなくなっているのだから始末が悪い。
個人的には艶っぽい御婦人が羞恥心を失うことは大歓迎だが、禿げ頭が揃って頭を下げるシーンにはいささかウンザリするのであった。