浜田屋遼太

世の中のために何の役にも立たないブログ  お暇なお方は是非どうぞ(^^♪

恥がなくなった

2021-03-23 | 日々是好日

日本人は恥だけはかきたくない、みんなそういう思いで生きてきた。

恥をかくぐらいなら腹かっ切って死ぬ、という人さえいた。

そして今、日本は急に「恥OK」の時代になった。

昨今の社会状況の随所において、それは顕著である。

恥の一つや二つ、謝罪会見さえすればそれは急に無かったことになる、という風潮になってきた。

最近はやりの「忖度」、みんなはうっかり見逃しているが、これは巧妙なズルである。

忖度は一見ズルに見えないが、忖度を「おべっか」という言葉に置き換えてみると、その実態は明らかになる。

もうみんな忘れてるかもしれないが、例の「森友学園疑惑」のとき、財務省元理財局長の国会での数々の証言。

あれはすべて安倍首相に対してのおべっかであった。

ズルはズルいのでズルく作られる。

ズルく構築されているので人はなかなかズルに気がつかない。

気がついてみたらあれはズルだった、ということはよくある。

人はなぜズルをするかというと、ズルは得につながっているからである。

人はズルによって何らかの利益を得る。

「このたび世間をお騒がせして」くらいのことなど確かに大したことではないかもしれないが、それにしてもたびたび「お騒がせ」がある。

そのたびに謝罪会見があると、これでいいのだろうかと思わざるを得ない。

みんな慣れっこになっていて、いとも簡単に軽々と頭を下げる。

4人とか5人とかが一列に立ち並び、そのうちの一人が「このたびは世間をお騒がせしてウンヌン」

と言い終わると、お互い目配せしてセーノで一斉に頭を3秒ほど下げ、また目配せして「こんなもんでいいんじゃないの」と頷き合い一斉に頭を上げる。

行事化とでもいうのか儀式化というのか祭事化というのか、そういう傾向になりつつある。

いくらなんでもまずいでしょ、この傾向は。

ズルは恥ずかしいことであったのに、恥ずかしくないことになってきた。

恥を恥とは思わなくなっているのだから始末が悪い。

個人的には艶っぽい御婦人が羞恥心を失うことは大歓迎だが、禿げ頭が揃って頭を下げるシーンにはいささかウンザリするのであった。

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がんばれ中華丼

2021-03-23 | B級グルメ

中華丼は美味しい。

だがどうもこの頃、世の中全体が中華丼に対して冷たいような気がしてならない。

内閣支持率というものがときどき発表されるが、最近の中華丼の支持率はどうなっているのだろう。

支持する     23パーセント

支持しない    47パーセント

あとの30パーセントは関心がない、といったところではないか。

世の中の大部分の人が「そういえばここ数年、中華丼食べてないね」的状況、及び「そういえば中華丼なんてまだあるの」的状況にあるに違いない。

昔は中華丼の支持率はもっと高かったように思う。

中華丼はなぜ生き延びているのか。

中華丼は白菜、筍、椎茸、キクラゲ、豚肉などを油で炒め、これに片栗粉でトロミをつけてゴハンの上にドロリとかけたものだ。

つまりこの材料、全部中華屋の冷蔵庫にいつもあるものなのだ。

中華丼のために仕入れたものなど一つもない。

注文さえあれば、いつでもたちどころに作れる。

しかし中華丼は魅力に乏しい。

しかし中華丼はいつでもすぐ作れる。

これが中華丼がいかに衰退しようとも滅びない理由なのだ。

中華丼は見た目もよくない。

色彩的に訴えてこないし、何だかまずそうでもある。

しかし、食べてみると意外に美味しいんですね。

中華丼は白っぽい塩系のものと、やや茶色っぽい醤油系のものがあるが、湖北の谷屋んのは醤油系だ。

中華丼700円          

中華丼はレンゲで食べる。

ゴハンと具をすくい上げて食べるので、パワーショベルの運転手のような心境だ。

最後の一口分のゴハンがなかなかすくい上げれない。

追いつめるカタチになるのだが、追いつめると相手は逃げる。

それにしてもこの「中華丼」というネーミング。

外国人なんかが見たら「全中国料理を代表する華麗な丼料理だな」と思うに違いない。

中華丼と称しているが、八宝菜丼とでも改称したほうが良いのでは…

などと思ったりするのであった。

 

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