散歩が趣味、という人が結構多い。
趣味には釣りとかテニスとかゴルフとかいろいろあるが、道路をブラブラ歩いていると、それを見た人は「散歩してるんだな」と思う。
と同時に「暇なんだな」と思う。
と同時に「お金かかってないな」と思う。
ゴルフバックを担いでいると、それを見た人は「お金がかかっているな」と思う。
と同時に「いい暮らししているんだな」と思う。
と同時に「会社じゃ偉いんだな」と思う。
これまで散歩の社会的地位は低かった。
運動としての地位も低かった。
散歩の一つ上のクラスにウォーキングというのがある。
そのもう一つ上にはジョギング、そのもう一つ上にはマラソンがある。
散歩に対する世間の評価を総合的に考えると、散歩している人=(イコール)たいしたことない人、という公式になる。
だがここにきて突如、評価が大きく変わった。
コロナ禍で「ステイホーム」というお達しがお上から出て、外出を控えるように申し渡された。
お上というのは政府であり東京都知事であるが、特に都知事がうるさかった。
剣幕というですか、血相というんですか、それに一般国民はヤラレタ。
動くな、と厳命しその剣幕に恐れをなして国民が家の中に引き籠った。
一方話が少しそれるが、スポーツ庁という役所(お上)があるが「安全にウォーキングやジョギングに取り組むための留意点」という文書を公表している。
その内容は「マスクを着用」「一人で」「他人との距離はウォーキングで5メートル」「ジョギングだと10メートル」「無風状態では5~10メートル」などなど風速にまで言及したお達しなのだ。
このお達しにはウォーキングとジョギングには言及しているが、散歩については一言も触れていない。
散歩はOKと解釈した。
みんな家からぞろぞろ出てきて歩き始めた。
出てきて改めて散歩のヨロコビを噛みしめることになった。
散歩が脚光を浴びることになったのだ。
これまで我々は散歩をあまりにも軽く考えていた。
散歩というのは何の考えもなく、何の目的もなく、思いつくまま気の向くまま、とりあえず前に進んで行くことだと思っていたが、そうではなかったのだ。
健康維持とか、気分転換とか、探求心などのちゃんとした目的を持って出て歩き回るのだ。
さあ、時はあたかもコロナ禍ではあるが桜咲く春である。
宣言も解除された。
久しぶりに散歩でもしてくるかなぁ。