半世紀前の日本の正月風景はどんなふうであったか。
一言で言うと、長閑であった。
野原では凧が揚がり、道端では羽根つきが行われ、家々からはカルタ取りの声が聞こえてき、道行く人も少なく、町中シンと静まりかえっていたものだ。
そのかわり元旦の前日、大晦日はメチャクチャ忙しかった。
レコード大賞と紅白歌合戦の会場の交通機関はどうなっているのか。
近いのか、遠いのか…
都会の事情に疎い田舎に暮らす老若男女は、誰もマジで心配したものであった。
とにかく忙しくて目が回るような一日だった。
何故かというと半世紀前の日本は、正月の三が日、全国的に商売という商売が休業するからだった。
つまり買い物ができなかったのだ。
正月の三日間を、買い物なしで食いつないでいくための準備で、大晦日は忙しかったのだ。
今は正月でもコンビニが営業しているので、正月用の食べ物を備蓄しておく必要がなくなった。
お節料理というものも、正月の三日間を買い物なしで済ませるための庶民の知恵でもあった。
そのお節料理そのものが、現代人の嗜好と少しずつずれてきた。
数の子は子孫繁栄とか、カマボコは紅白でメデタイとか…
お節というのは日本料理特有の「盛りつけ」の極限を表している。
何十種類というおかずを、スキマなく整然と彩なんかも考え整然とした美の世界を構築しているのだ。
お節のチラシが届くようになった
お正月が近いことを感じます。