年に一度、 ジジでもケーキを食べる日がきた。
ショートケーキやクリスマスケーキには欠かせないイチゴ。
昔のイチゴは小さくて可愛かった。
可愛い、あどけない、微笑ましい、小さくて頼りない…
小さくて可憐で果かなそうで、思わず手を貸したくなるようなイチゴだったが、時代の流れに逆行するかのように年々イチゴがデカくなっている、と思う。
親戚の子供は見るたびに大きくなったなと思うが、イチゴも会うたびに大きくなっている。
リンゴや梨ぐらいの大きさのものさえあると聞く(見たことないけど)。
イチゴはその大きさとその形に可愛さがあった。
イチゴはサクランボと一緒に、その可愛さを愛される果物である。
だからこそ高校生のハンカチに、新妻のエプロンに、若い女の子のポーチにイチゴ柄が用いられている。
年々巨大化しつつあるイチゴは、形も大きく変化している。
不細工になった。
いびつになった。
ゆがんでねじれて凸凹になった。
体重も増えた。
なりふり構わなくかってきた。
例えは悪いが、ある年齢になると「女を捨てたおばさん」という一群の人たちがいるが、「イチゴを捨てたイチゴたち」という印象を免れない。
かつてあんなに可憐で清楚でいたいけなかった少女が、なぜこうもたくましくて頑丈そうなおばさんになってしまったのか。
可憐と清楚から、頑丈とふてぶてしさに至る過程に何があったのか。
多分いろいろなことがあったのであろう。
いったん「イチゴを捨てた」イチゴがこれから先、生きていくのはかなり難しいのではないか。
せめてプチトマトくらいの大きさに戻れば、と思うのであった。