武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

吉永小百合さんが歩く

2011年06月20日 | Weblog

戸隠の杉並木はCMで吉永小百合さんが歩いたとかで人気になっているらしい。「戸隠」という名前からして日本神話と大いに関係ある。
山をみれば、霊峰と言う感じでゴツゴツし、いかにも神様がいそうだ。こういうところだから修行の山でもあった。携帯用に「そば」をもっていったのが、戸隠そばのもとらしい。もちろん、団子状にしたものだ。
「戸隠そば」と言えば馬蹄形をした盛り方で「ぼっちもり」という。これがいくつかざるにのってくる。
戸隠は水芭蕉も有名だ。むかしひっそり咲いていたのを見つけ観光対象になった。見えるように周りの木を切ったりしたら衰えたとか・・・・ここらが「見せる派」と「自然派」の微妙な関係だ。

豆本・・・そば

2011年06月19日 | Weblog


若い頃、スキー好きな先輩に誘われて木曽の開田で行われた木曽スキー大会に出た。標高が高いうえに、天候が悪いこともあったが、木曽御岳山から吹きすさぶ寒風と雪面からあがってきる冷気に参ってしまった。山頂で待っている間に身体がコチコチになってしまった。競技はどうでもいいので滑って降りた。ゴールしたら地元の人が暖かそうなどんぶりを用意してくれていた。トン汁をイメージしていたが「なんだ、この味は・・・すっぱい!」これが「すんき汁」というものだった。昔から、木曽に伝わる塩を使わない乳酸菌で漬けた赤カブの漬物です。

江戸の犯罪を考える

2011年06月18日 | Weblog

江戸時代の刑法の内、流刑・島流しは江戸へは再びもどれないという刑であった。八丈島などは代表的なものだった。どえらく遠く脱走など無理であった。それでも脱走計画をし、捕まると斧で頭を割る撲殺刑か底土刑といって絶壁から突き落とす刑がまっていた。
現在の刑法は「・・・・未決ノ囚人逃走シタ時ハ一年以下ノ懲役」となってる。現代の方がはるかに軽い。

インテリ崩れの博徒・喜三郎と付け火(放火)の花鳥という女性と5人の博徒が脱出を試みた。インテリだった喜三郎は「潮の流れ」を十分研究し、茨城に流れ着く計算をし、脱出した。途中暴風にあい4人が死に、暴風がかえって幸いし3人は陸にうちあげられた。
これくらいしか八丈島の脱出記録はないようである。この記録は後に捕まった喜三郎が牢屋の中で書いたものが残っているからわかるらしい。・・・・彼がインテリだったことが計画が緻密であり、記録も残せたのだろうか。いずれにしても犯罪者だから「快挙」とも言えない。
ここまで「江戸の犯罪白書」という本からパクリました。

江戸時代は火事になると「牢屋」のカギをはずし、犯罪者を帰ってくると罪を半減ということで逃がしたようである。現在でも、この間の東日本災害時にも対処できないと犯罪者を解放したようである。この中で又悪さをし、捕まった人がいるようである。

こういう話は気持ちが暗くなるが・・・脱走でもスチーブ・マックーインの「大脱走」など明るいものだ。

豆本

2011年06月17日 | Weblog
版画教室があった。4名出席で全員出席だった。来月からNHKの教室も始まるのでいそがしくなる・・・思ったが月一度だから、こんなんでいそがしいというと笑われる。しばらく版画をやってないので、豆本から始めることにした。・・・・考えたあげく「そば」を題材にしてみることにした。現在、結構「そば」はもてはやされている。・・・が、そんなに詳しくないけど・・・・ま、いいか・・・

小さい頃は祖父がそば好きで、一日がかりで町場に出るとそば屋によった。・・当時おいしいものとは思えなかったけど。

今日のぼやき

2011年06月16日 | Weblog
うっすら寒い朝だ。カッコウが鳴いている。畑のブロコリーを一個収穫した。これはほっとけば成長するので、来年は・・・・と思ったけど出荷するわけでもないのに、一度に沢山できるのもな。


フクシマの酪農家が自ら命を絶った。暗いニュースだ。親族が怒っていた。・・・現在の政治にだ。最もな話だ。あんな茶番劇見せられたら・・・・・・

オオメ

2011年06月15日 | Weblog

庭の小梅が緑の木陰に見える。なんとも言えない季節の風景だ。
青梅マラソンで有名な青梅市のあるお寺には梅の老木があって、秋になって葉が落葉しても実は青いそうだ。これに平将門が願をかけたところから青梅という地名がついたとか。

大昔、女房が梅を好んで食べるようになると懐妊の兆候と喜んだらしい。夏ミカンもそうだった・・・・けど。現在はどうなんか知らない。
今は時代が変わり、夏ミカンは店の隅で売れ行きではないらしい。先日の句会に夏ミカンに重曹をかけて食べた話が出た。・・・・うーーン、句会の年代層がよくわかると言うものだ。
写真の作品は駒ヶ根インター。試作です。   

ゴッホが出かける・・・

2011年06月14日 | Weblog

ゴッホと言えば画家である。似た名前でロベルト・コッホがいる。ドイツの細菌学者だ。この先生に留学してならったのが北里柴三郎だ・・・・けど伝染病の研究をした人ぐらいで・・・あまりなじみがない。しかし、北里先生の発見した血清療法は現在の療法のもとであり、先をゆくものであった。・・・けどに帰国してみれば、外来の研究者をいれない日本の官僚主義があり、それを突破助力したのは福沢諭吉だそうだ。北里先生の生まれたのが1853年の6月13日だ。ごくごく本日はかたい話で。

昭和18年・・・・・・

2011年06月13日 | Weblog
朝、NHKの朝ドラを見る。朝ドラは昭和18年秋・・・・になっていた。結婚してすぐ出征・・・となると私の母と同じである。あの井上真央さん演じる主人公は母と同年代なのだ。・・・後2年で終戦なのだ。当時の人はこのことを知らない。

ドラマを見たドライブインの壁のタイル画の写真を撮った。こういう浮世絵を見てると見る人を意識して構図も工夫している。

隣の客は・・・

2011年06月12日 | Weblog

松本平田でやってるKさんの木彫展を見る。退職して本格的にはじめたそうだ。発展途上というところだ。・・・という程の言える私ではないが・・・・・

午後は版画展の当番をする。なにもしないで座っているのは苦痛であったが、色々と質問してくれる方がいて助かった。隣でマイセンの陶器展をやっており、かなりの入場者で・・・・その流れでこちらが潤うという構図だ。

隣の客はいい客だ。

あがたの森にて・・・・

2011年06月11日 | Weblog
松本市にある旧松本高校の建物を「折り紙建築」で作った。美術館ができるまで、ここで展覧会をやったものだ。入り口から両方向に校舎が配置されているので、斜めを表現するのは難しい。長い時間と失敗ばかりだった。

大分古い話だが、この建物で数学教師をしていたヒルさんという方がいた。豪快な伝説の教師で「落伍教師」という著書がある。教え子に北杜夫、熊井啓というからかなり昔の話だけど。自分より年上の生徒がいる中で、互いに青春を謳歌していた。新入生への最初の授業は「性欲と運動の関係」であったとか。旧制高校が廃止になると地元の小学校の教師となり、後に愛知の大学に教授になっている。私が最初に教壇に立った時、こういう先生もいたんだ・・・と読んだ記憶がある。