朝日新聞5月25日付朝刊オピニオン・ページのコラム『多事奏論』で、高橋純子・編集委員の「思想は深いがいい つるっと『にっぽん』多用の怖さ」という記事を読んだ。
その記事の一部でNHKの連続ドラマを引き合いに出して高橋氏は次のように書いていた。
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ただ、「虎に翼」では個人的にひとつだけ、残念だったことがある。第1話、冒頭のナレーション。
「昭和21年。公布されたにっぽんこくけんぽうの第14条にこうあります」
NHKに問い合わせたら「日本国憲法を、にほん、にっぽん、どちらで呼称するかは番組の判断」との回答だったが(つれない)、ぜひ「にほん」と読んでほしかった。正否の話ではない。「にっぽん」がつるっと多用されることへの警戒心を、私はどうしても拭えないのだ。
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そのあとで、鶴見俊輔や戸坂潤を引き合いに出し、日本が「にほん」ではなく「にっぽん」と発音されるのは、侵略思想を広げようとするときであると高橋氏は主張し、「おびただしい数の命や声や思い。その犠牲の上に誕生した憲法はやはり、『にほんこくけんぽう』と読まれてほしい」と書いている。
日本国憲法を「にっぽんこくけんぽう」と発音すれば、背後に「だいにっぽんていこくけんぽう」の亡霊を感じる人もいれば、感じない人もいる。それはともあれ、日本橋は大阪のそれは「にっぽんばし」で東京のそれは「にほんばし」と発音される。しかし、大切な日本国憲法は全国一律で「にほんこくけんぽう」と発音してほしいと、編集委員は願っているのだろう。
一般的には、日本を「にほん」と発音するか、「にっぽん」と発音するかは、言葉の前後関係でどちらでもいい話だ。日本脳炎を「にほんのうえん」と発音しようと「にっぽんのうえん」と発音しようと、それが危険な夏の感染症であることは同じ。日本刀を「にほんとう」と発音しても「にっぽんとう」と発音しても、切ったら血が出る人斬り包丁に変わりはない。
(2024.5.26 花崎泰雄)
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