「ご苦労さん」
帰宅を出迎えた妻に、Vサインを突き出した。気分は晴れ晴れしている。
「せいせいしたわ」
「ほな長生きせなあかんよ。まだまだ稼いで貰わんと承知せんからな」
三人の子供は社会に送り出したが、もう一人高校生の末娘が残っている。大学に進む予定だ。まだまだ親の責任が雄二を雁字搦めにする。親の務めを果たし終えるまで、あと四年余力を振り絞るしかない。それでオーバーホールを兼ねた手術と入院生活に入るのだ。
入院して二日目に大腸ポリープを切除した。十二月の寒さを閉じ込めたかと思えるほどに寒々とした控室で手術を待った。
内視鏡手術は麻酔も効いて、痛くもかゆくもなかった。一時間近い手術だった。
「大腸が普通より長くて多少時間をかけましたが、手術は成功です。ポリープは三個切除しました。残りは様子見しましょか」
スポーツ刈りの医師に丁寧な説明を受けた。その間も寒さは変わらず雄二を襲い続けた。
四日間の入院である。日帰りも可能な内視鏡手術という前知識は通用しなかった。医師の決定に異議を差し挟む患者ではなかった。
退院に迎えはなかった。妻に仕事を抜けさせるほどの重大な手術をしたわけではない。自分を納得させても、雄二はすこし寂しかった。病院の玄関前にあるロータリーに足を運んだ。時刻表が貼られたバス停に立つと、やっと緊張はほぐれた。自由を手にした自分に気づく。退院したからと言って仕事は待ち構えていない。じっくりと自分の時間を味わえばいいのだ。自然と顔がほころんだ。
正月休みが明けるまで、煩わしいことは何も考えずに過ごした。なまった体を雄二は重く感じた。下腹も心なしか出張っている。(こんな体たらくでええんかいな?)雄二はジリジリしてきた。
「あんまし焦らんでええよ。長い間しんどい仕事頑張ってきたんやから、しばらくゆっくりしたらええがな」
「わかってる。そないいうたかて、じーっとしとるん、わしの性に合わんわ。失業手当も貰いに行かなあかんし。気も紛れるやろ。ハローワーク通いも悪うないかも知れへん」
雄二は西脇にあるハローワークへ車を走らせた。久しぶりである。時間を気にしなくていい運転は幸せな気分をくれる。
居間でぼんやりとテレビを眺めていると、どたばたと妻がやってきた。
「電話やで。尾崎さんいう人」
「尾崎て……?前の会社の……」
受話器から聞きなれた声がこぼれる。
「千原はんけ。尾崎や」
「ああ、お久しぶりです」
尾崎の電話を訝った。キッパリと縁を切った会社の上司が、今更なんの用があるのか?
「手ぇー貸してくれへんやろか?すし飯ようけ炊かなあかんのに人が足らんのや」
(そうか)雄二は気づいた。(丸かじりの季節や)皮肉めいた笑いが浮かんだ。
二月の節分。巻きずしを丸かじりする風習が全国を席巻する。弁当工場の稼ぎ時だった。一万本以上の巻きずしを製造する。当然、炊飯は地獄の忙しさを迎える。けせらせらだ。
「済んません。助っ人には行けまへんわ」
快感だった。一度口にしたかった断りの言葉。雄二は、いま確かに言ってのけたのだ。(終)
帰宅を出迎えた妻に、Vサインを突き出した。気分は晴れ晴れしている。
「せいせいしたわ」
「ほな長生きせなあかんよ。まだまだ稼いで貰わんと承知せんからな」
三人の子供は社会に送り出したが、もう一人高校生の末娘が残っている。大学に進む予定だ。まだまだ親の責任が雄二を雁字搦めにする。親の務めを果たし終えるまで、あと四年余力を振り絞るしかない。それでオーバーホールを兼ねた手術と入院生活に入るのだ。
入院して二日目に大腸ポリープを切除した。十二月の寒さを閉じ込めたかと思えるほどに寒々とした控室で手術を待った。
内視鏡手術は麻酔も効いて、痛くもかゆくもなかった。一時間近い手術だった。
「大腸が普通より長くて多少時間をかけましたが、手術は成功です。ポリープは三個切除しました。残りは様子見しましょか」
スポーツ刈りの医師に丁寧な説明を受けた。その間も寒さは変わらず雄二を襲い続けた。
四日間の入院である。日帰りも可能な内視鏡手術という前知識は通用しなかった。医師の決定に異議を差し挟む患者ではなかった。
退院に迎えはなかった。妻に仕事を抜けさせるほどの重大な手術をしたわけではない。自分を納得させても、雄二はすこし寂しかった。病院の玄関前にあるロータリーに足を運んだ。時刻表が貼られたバス停に立つと、やっと緊張はほぐれた。自由を手にした自分に気づく。退院したからと言って仕事は待ち構えていない。じっくりと自分の時間を味わえばいいのだ。自然と顔がほころんだ。
正月休みが明けるまで、煩わしいことは何も考えずに過ごした。なまった体を雄二は重く感じた。下腹も心なしか出張っている。(こんな体たらくでええんかいな?)雄二はジリジリしてきた。
「あんまし焦らんでええよ。長い間しんどい仕事頑張ってきたんやから、しばらくゆっくりしたらええがな」
「わかってる。そないいうたかて、じーっとしとるん、わしの性に合わんわ。失業手当も貰いに行かなあかんし。気も紛れるやろ。ハローワーク通いも悪うないかも知れへん」
雄二は西脇にあるハローワークへ車を走らせた。久しぶりである。時間を気にしなくていい運転は幸せな気分をくれる。
居間でぼんやりとテレビを眺めていると、どたばたと妻がやってきた。
「電話やで。尾崎さんいう人」
「尾崎て……?前の会社の……」
受話器から聞きなれた声がこぼれる。
「千原はんけ。尾崎や」
「ああ、お久しぶりです」
尾崎の電話を訝った。キッパリと縁を切った会社の上司が、今更なんの用があるのか?
「手ぇー貸してくれへんやろか?すし飯ようけ炊かなあかんのに人が足らんのや」
(そうか)雄二は気づいた。(丸かじりの季節や)皮肉めいた笑いが浮かんだ。
二月の節分。巻きずしを丸かじりする風習が全国を席巻する。弁当工場の稼ぎ時だった。一万本以上の巻きずしを製造する。当然、炊飯は地獄の忙しさを迎える。けせらせらだ。
「済んません。助っ人には行けまへんわ」
快感だった。一度口にしたかった断りの言葉。雄二は、いま確かに言ってのけたのだ。(終)