難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

補聴器と人工内耳併用時の聴覚管理

2009年11月02日 22時53分29秒 | 日記(つぶやき)
難聴人生58年で、薬で聴力を回復させる治療を受けたのは13歳から14歳の頃、アリナミンの大量投与を受けていた時以来だ。

効果はあまり見られなかったのか、治療費がかさんだのか、勉学か遊びに忙しくて行かなくなかったのか分からない。
難聴が治療で治るとは考えたことがなかった。

実際、補聴器だけでは言葉の聞き取りも難しくなってしまったが、これは人工内耳との併用のため脳の回路が変わってしまったことによるものなのか分からない。

何故、補聴器側の聴力が低下したのか。人工内耳と併用していると、人工内耳側からかなり大きな音が入るので補聴器側からボリウム大きな音が入力されても分からない
ことがある。
補聴器と人工内耳の聞こえのバランスを取ろうとして知らず知らずのうちに補聴器のボリウムが大きくなってしまっていたのかも知れない。

この理由は自分で考えたが、医師とSTからはそういう説明や推測はまだ言われていない。
とすれば、併用時の補聴器のボリウムをコントロールしながら、定期的に聴覚管理をしないといけない。


ラビット 記
写真は自炊でキムチ鍋を作ってみた。

今日の聴力検査の結果は低下したまま

2009年11月02日 22時52分48秒 | 日記(つぶやき)


早朝から病院に行ってきた。
1ヶ月前から引用しているステロイド剤()が聴力の回復に効果があるかどうかをみるための聴力検査を受けた。

結果は、三分法で101.7dB、四分法で97.5dBだった。これは前回とほとんど変わらず、薬の効果はなかったということだ。
このステロイド剤を止めるのだが、急に服用を止めると良くないので、徐々に減らしていくのだそうだ。
10日前から今まで毎日5mmg服用してきたがこれから3日間は3mmgずつ、次の3日間は2mmg、次の3日間は1mmgずつと減らしていく。
結構、微妙なものだ。


ラビット 記

デフアートと難聴者の苦闘と誇り

2009年11月02日 08時26分45秒 | 日記(つぶやき)
デフアートは、聾者が手話を使うことや聾者として生きること自体が抑圧されてきた体験から、聾者の人間としての権利をねがう感情、願いを表したものだとすれば、難聴者にも同じような発露はある。

絵画や工芸、文芸に表現している難聴者は多い。
難聴は、聞こえが環境にも周囲の理解にも大きく左右され、自らの心身の状態がさらにそれに輪をかけるので、とても簡単には表現できない。

難聴者は、押し寄せる騒音と耳鳴り、めまいの中をかろうじて届く声を神経を集中して聞こうとする。あるいはしんとした静けさの中で、ボレロの出だしのような微かな音を聞き逃していないか、もう聞こえなくなってしまったのでと不安に押しつぶされながら聞こうとしている。

それは逆巻く荒波の中の小舟、いや木の葉のようなもので、逆行の中さらに閃光が飛び交うような中で微かな映像を見分けようとするのにも似て、あるいは足下から吹きすさぶ強風の中で目をかすかに開けてみる風景のようで、絶え間なく揺れ動く地面が突然足下が崩れ落ちたり持ち上がったりするようなもので、言葉で表現するのは容易ではない。

こうした難聴者のことを中途半端な障害者だとしかも人格さえも中途半端なように聾者に言われて悔しいと言ってきた難聴者がいた。
これは、難聴者の聞こえを体験できないからやむを得ないかも知れないが、聞こえを聞こえるか聞こえないかに余りにも単純化しすぎている。

難聴の障害が理解されにくいのは、本人でないと体験出来ないのと聞こえの状態を言葉で表現しにくいからだ。

難聴者は社会の理解もなく、難聴とどう向き合うべきか知らされないまま、暴風雨の中孤独な闘いをしている勇者だ。
難聴者は、勇者であることに誇りを持ち、仲間を求めて連帯していこう。


ラビット 記

字幕が上にある字幕放送

2009年11月02日 08時26分28秒 | 日記(つぶやき)
生放送の字幕放送の字幕は、字幕の長さが分からないため、表示位置が固定されている。

NHKのニュースは画面下部に表示されるが日本テレビは上部だ。
これを見ると野球のスコア、イニングカウントなどが上部にありそれを避けるような位置になっていて、なるほどと思った。

携帯の地デジ受信画面のように、テレビ画面の外に表示されると良いがこれも通常のテレビ受信機は電波産業会ARIBの規格外となり出来ない。


ラビット 記