難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

情報通信・放送の融合に関わる総合的法体系にパブコメ

2009年07月22日 21時14分32秒 | 放送・通信
090722-195339.jpg情報通信審議会情報通信政策部会が「通信・放送の総合的な法体系の在り方」<平成20年諮問第14号>案を6月19日に発表し、現在7月21日までの日程で、パブコメを募集していた。

下記のURLにパブコメ応募の参考資料があるが、これを見ても、障害者の通信・放送のアクセシビリティの保障
について、検討されたのかどうかも分からない。

障害者放送協議会の総会では、この問題に取り組むことが決議されている。
パブコメ締め切りまでに多くの障害者団体と障害者放送協議会も意見を出すように提案した。

この放送法、通信法など放送・通信の基盤をまったく変える法体系の中に、放送・通信のアクセシビリティを担保するものがないということは、障害者の権利条約の批准した際にも問題となります。

情報通信・放送の融合時代におけるアクセシビリティに関する委員会を立ち上げて、徹底的に審議しなければならない。

総務省情報通信審議会情報通信政策部会の答申内容は以下のURLにある。
http://search.e-gov.go.jp:80/servlet/Public?CLASSNAME=Pcm1010&BID=145207525&OBJCD=100145&GROUP

このURLの中に、答申案や報道資料がpdfででている。

ラビット 記
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「通信・放送の総合的な法体系の在り方<平成20年度諮問第14号>答申(案)」への意見

障害者放送協議会

1.法体系見直しの必要性

(2)現行の法体系
1)デジタル化、ブロードバンド化の普及と達成をはかるためには、そのインフラの双方向性という性質から見ても、障害者を含む受信者・利用者が放送通信のサービスに広く参加できることが前提にあり、法体系の見直しに向けても、広く障害者を含む受信者・利用者の観点を含めることが重要である。
 法体系のあり方を検討していく審議会、またはその部会、検討委員会には、障害者を含む受信者・利用者を広く参加させるべきである。
 また新たな法体系の下では、放送・通信のアクセシビリティに関する常設の委員会を設け、広く障害者を含む受信者・利用者の参加を保障すべきである。

2)新たな法体系においては、あらゆる伝送形態におけるコンテンツへのアクセスを保障する仕組みを設けるべきである。現在、個々の放送・通信サービスおいて、障害者の情報利用のための施策が一定程度講じられているにもかかわらず、障害者がコンテンツを利用できない場合が多い。具体例を挙げれば、テレビ放送等のコンテンツをインターネット等でオンデマンド配信を行うサービスにおいて、元々の放送番組に字幕等が付されているにもかかわらず、オンデマンド配信においては字幕等が付されないために聴覚障害者等が利用できない。またテレビ放送についても、字幕放送、解説放送に関する行政指針が出されているものの、地上デジタル放送受信機の
操作に音声フィードバックがないことから、視覚障害者等が利用できないなどの問題がある。
 また、電話サービスは音声のみであり、聞こえない障害を持つもの、発声できないもの、環境により聞くことが出来ないものには利用が出来ない。ITUの規格に電話サービスが取り込まれたことにより、わが国の音声電話サービスにもそのキャリアのいかんを問わず、電話リレーサービスならびにテレビ電話サービスの実施を義務づけるなどアクセシビリティを保障すべきである。
 新たな法体系においては、個々の通信・放送サービスごとの施策を講じるのみならず、放送・通信の利用をすべての人に保障するという観点から包括的な施策を講じるべきである。

(3)見直しに当たっての3つの視点と5つの目的
1)「利用者・受信者の利益の保護」ということに加えて、「障害者を含むすべての人が等しく利用(受信・送信)できる通信・放送の確立」という目的を含むべきである。
 わが国が署名している「障害者の権利に関する条約」においては、情報通信によって情報を知る権利、コミュニケーションを行う権利が規定されている。わが国が世界最先端の通信・放送サービスを実現していくためには、新たな法体系にこの目的を欠くことはできない。
 われわれが望むのは、通信と放送のアクセシビリティをすべての人に保障する新たな法体系である。




難聴者の各成長過程が現在の「問題行動」に

2009年07月20日 08時55分32秒 | エンパワメント
Image187母200907.jpg今日は実母の誕生日だ。実家近くの介護付きのホームに暮らしている。お盆でもあるので訪ねたいと思っていたが今日になった。

今、学習している臨床心理は、第4章に入る。出生から児童期、青年期を経て、大人の時期をこれから取り上げる。
問題行動や症状を起こす人は、誰にとって「問題」なのか、青年期以前にも遡ったり、社会的な背景にも考察することが必要とある。
前章を読み直してみた。各成長期の経験とともに起こってくる問題を適切に対応してきたかどうかが現在の問題行動の背景になっている場合があるということだ。


同居している義母を見て、イライラしてくるのは、なぜか考えてみた。
乳児期からの難聴のため、成人して親と離れて暮らすようになって今に至るまで親と妹弟たちと会話が出来なかった。自分には乳児期から中学生まで難聴で会話の記憶が全く残っていない。この時期は、テレビも少年ジェットやオオカミ少年ケン、鉄人28号を見ても主題歌のワンフレーズしか記憶にない。言葉のコミュニケーションによる人間的成長の機会を失っている時期だ。

弟夫婦や妹が忙しい中、実母に面会してくれているが、母親とも兄弟とも「家族」関係を築けなかったことと今長男である自分がその役割を果たせないでいることがコンプレックスになっていることが影響しているのかも知れない。

昨日は、その義母から「家族だから一緒にご飯を」なんて言われるとたまらず、家を飛び出してしまった。
実母のところに行けば良かったが妹と弟に気兼ねしていけなかった。今日は聴覚障害者自立支援センター祭りの警備員を担当する。


ラビット 記




難聴者の自立支援に心理学の必要な理由

2009年07月20日 00時03分36秒 | エンパワメント
090719-110802.jpgYさん、

難聴者は「難聴であること」を周囲の人にどのように説明するか困っていると申し上げましたが、実は他ならぬ自分が一番必要としているのではないかと気が付きました。

つまり、聞こえない自分をどう説明するかということは、聞こえている世界にいる自分はどういう存在なのか,どのように認識するかということであり、これはアイデンティティの問題です。

難聴者のアイデンティティの問題というのは、自分は難聴者であるという認識をもつことではなく、聴覚生理や障害は機能障害を持つ人と社会の理解と「障壁との相互作用」(障害者権利条約)であることなどを理解し、その上で自分が自分である、ユニークな(唯一無二の)自分であるということを理解することです。
これが自立の始まりです。難聴者の自立支援とは自分をどう見るのかを一緒に考えると言うことです。

一緒に考えるということは、同じ難聴者たちと手話を学んだり一緒に趣味を楽しんだりと、いろいろな形がありますが、同じ難聴者と触れあうことはもう一人の自分を見ることにつながります。つまり、アイデンティティの確立に大きな機会になっていると思うのです。

難聴者の自立支援の活動をしている人、特に難聴者自身の方はピアメンターと言いますが、心理学の学習が必要です。
これは心理臨床という分野で、先ほどの人間の成長過程におけるアイデンティティの問題や心理学的対人援助の方法をきちんと学ぶということです。日常的な活動の中で身につけている部分があるかも知れませんが、いろいろな難聴者を支援する立場にある人は接している難聴者に対して責任があると思うのです。

難聴者自立支援者研修プログラムのようなものが必要ですね。

まとまりがないですが、行政に難聴者の自立支援施策を実施してもらうために考えてみました。


ラビット 記
都心にもニューヨークのマンハッタンのセントラルパークのような公園がある。それほど広くはないが、それでも日比谷公園よりは広い代々木公園。




人工内耳と要約筆記とハリーポッター

2009年07月19日 12時44分20秒 | 要約筆記
090718-133852.jpg久しぶりに映画館に行った。ハリーポッターの最新版。

補聴器と人工内耳を付けて見る。人工内耳はアドロとASC。

How are you?(元気か?)とかいくつかの英語が耳に飛び込んできた。いずれも耳にしたり、発したことのある言葉だ。
言葉は、脳にその記憶がないと認識できない。
ダンブルドア校長の記憶が改竄されていた部分は、闇の魔法の名前だったが、(改竄のため)言葉になっていなかったので字幕にもなっておらず、聞き取れなかった。

しかし、聞こえるというのはその言葉が頭の中にすっと入ってくるのだ。これは人工内耳をして初めて体験した。
聞こえる人は、言葉がストレスなく脳の中に入ってくるので、聞きながら考えることが出来る。何でストレスなく頭にはいるのか、生まれたときから言葉を聞いて覚えるからだ。
しかし、聞こえた言葉をそのまま文字にしてもストレスなく頭にはいらない。文字による言葉は、かな漢字の読み、書き言葉の文法などを後天的に学習しなければならないからだ。

文字による情報保障は、その場の通訳と文字による読解的理解とを機能的に違うことを理解しなければならない。
裁判員制度の情報保障は両方必要になる。


ラビット 記




白い犬と人工内耳

2009年07月18日 10時24分37秒 | 人工内耳
090716-085854.jpgソフトバンクのテレビのCMは字幕がない。
難聴者には何を言っているのか、犬では読話も出来ないのでお手上げだ。

この間人工内耳でちょっと聞こえた。
小料理屋ふうのカウンターにお父さんが座って、松田聖子の女将さんと会話している。
(お父さんは白い犬のことだが、難聴者には何でそこに犬が居るのか、家族の父親であることも知らない)

お父さんが「結婚しないのか」と女将に言うと、女将がちょっと照れたふうに「お父さんと結婚しようかな」と答える。お父さんが何か言ったのは聞き取れなかったが、そそくさとカウンターを降りて帰ってしまう。
(15秒バージョンと30秒バージョン)
http://mb.softbank.jp/mb/campaign/shared/cm/0906251b.asx
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もう一つのCMは、携帯に本物の犬ほどもある白い犬のストラップをつけて電話しながら娘が家に帰ってきて「ああ、重かった」と言う。
お母さんが「そんなに重いストラップをつけなくても」。
娘が「でも筋肉が付いちゃった」と言いながら、片手で黒人のお兄さんを持ち上げている。
http://mb.softbank.jp/mb/campaign/shared/cm/0906011b.asx
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会話の全部が聞こえるわけではないが、所々聞こえる。他のことは分からないか曖昧だ。
松田聖子が博多弁でしゃべっているということはソフトバンクのCMサイトを見るまで分からなかった。どうりで聞き取れないはずだ。

難聴者の日常生活で聞こえるのはこういう状態だ。
まったくストレスにならない方がおかしい。いくら耳を澄ませても部分しか分からないので、疲れて「聞く」ということを止めてしまうのだ。

この「疲れる」というのも一般社会では理解しにくいだろう。
聞くことに神経を集中させて、このオンは何か、この言葉は何を言っているのか、こうかなと自分の頭にある言葉と聞こえた言葉を頭を高速回転させてマッチングしている。
この脳内作業が疲労の元なのだ。

聞こえない人にストレスを与えるCMは止めて、字幕をつけて欲しい。


ラビット 記




人工内耳に関する Google ウェブ アラート

2009年07月18日 09時19分48秒 | 人工内耳
7月7日、豪州大使館で人工内耳に関するセミナーが開催された。

日本コクレア社から参加を促されたが、勤務の都合で断念した。

豪州大使館から自宅に案内状が届いた。
どうして豪州大使館が自宅の住所を知っていたのか、人工内耳装用者の個人情報が人工内耳医療関係者以外が知っているのに疑問を感じた。


ラビット 記
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リチャードダウウェル博士豪州聴覚学教授メルボルン大学耳鼻咽喉科代表(写真)
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人工内耳の認知促進が必要-豪州コクレアCEO mediajam
同イベントでは1985年の日本初の人工内耳手術に海外のエキスパートとして参加したリチャードダウウェル博士豪州聴覚学教授メルボルン大学耳鼻咽喉科代表と世界No1 ...

人工内耳の認知促進が必要豪州コクレアCEO IBTimesアイビータイムズ
オーストラリア大使館と日本コクレアは7日、オーストラリア政府とメルボルン大学の産官学共同で開発された、世界で唯一とされる高度感音難聴者の聴覚機能を回復できる ...




筆談で出演した斉藤里恵さん

2009年07月15日 12時54分04秒 | 生活
090714_2236~0001.jpgハーマオイニーさんから、筆談ホステスさんの斉藤里恵さんがテレビ出演したことを教えてもらった。

テレビに手話を使わない聴覚障害者がしかも文字でコミュニケーションしている様子が放送されたのは「空前絶後」ではないのか。

難聴者がノートテイクや筆談している難聴者が福祉問題として、要約筆記の制度や養成に関して取り上げられたり、登場することはあった。

視聴者の参加するクイズ番組だって、バラエティだって、普通に難聴者が登場しても良いはずだ。筆談すればよいのだから。字幕だってあるさ。

実は、斉藤理恵さんのように筆談とノートテイクで生活や仕事をしている難聴者、ろう者は多い。
東京都内で利用されている要約筆記の個人派遣の年間派遣数は900件に上るからだ。


ラビット 記
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ラビット君が、「6月26日 22:17」に書いた
  |「筆談の難しさ 難聴者に筆談する」
  | 朝日新聞5月30日の夕刊に、
  | 聞こえない「筆談ホステス」斉藤里恵さんが
  | 紹介されていていた。
  | 銀座のクラブで売り上げNo1を争っているという。
 「斉藤里恵さん」が、今夜テレビに出ていました。

 出演者の方々がフリップに質問を書き、
 それに斉藤さんが、“書いて”答えていました。
  
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 【日本テレビ「魔女達の22時」 [字] 】
 http://www.ntv.co.jp/majo/week/090714_03.html

 「会話のプロじゃなきゃいけないホステスの世界で
  何もしゃべらずに銀座No.1になった魔女」 (斉藤里恵さん 25歳)

  幼い時の病気の後遺症で耳が不自由になり
  現在は筆談のみで生活をしている魔女。
  とあるクラブのママから誘われたことがきっかけで
  ホステスの世界に入った。
  筆談での会話は今では彼女の魅力となり、銀座のクラブでNo.1に!
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スクーリング時の要約筆記の利用方法

2009年07月12日 18時17分54秒 | 要約筆記
090426-064440.jpg2年次のスクーリング前期が終わった。
医学一般(前期)、介護概論(前期)、障害者福祉論、社会福祉演習(聴講)だ。

医学一般(後期)、介護概論(後期)、心理学、地方自治論と後4科目を残すのみとなった。
しかし、今年度卒業は断念せざるを得ない。介護実習演習が2週間かかるので、勤務先の都合が付かないからだ。
とりあえず、他の学科はこれまで全部履修した。
学んだことは難聴者の福祉施策の体系化に生かそう。

講義のノートテイクを受けていて、何で社会福祉関係者に難聴者支援施策の提案がないのかなどいろいろなことを考えたが、聞こえる人は聞きながら考えたり、ノートをとる。
「へえー、そういうことだったのかあ」
「なに、その場合は良いけれどもし出来ない場合はどうするんだ」
「これは前に聞いたことと関係がありそうだな、メモしておこう」など。

いま受講している講義の範囲では、ノートテイクは書かれたことをさっと見て、頭に浮かんだことをノートする。また書かれたことを見てレジメを見るというように、自分のノートを取る時間があった。
これがパソコンの文字入力で書かれた文字が多かったり、講師の話のまま入力された場合、講師の話し方によっては読み通すのに苦労すると思考がふくらまないし、ノートは取れないかもしれないと考えた。


ラビット 記




難聴治療の過失に賠償 携帯プレーヤーと難聴

2009年07月12日 12時18分00秒 | 生活
難聴治療に対する病院側の過失が認められたというニュースがあった。

病院のどういう過失かは分からないが、難聴になったことの責任を問うのも難しい。

携帯型音楽プレーヤーや携帯電話による音楽の長時間聴取による難聴もメーカーに責任を問うのは利用者側に立証責任があれば難しい。
一定のレベルを超える音量(音圧)が出ないように設計され、かつ取り扱い説明書に長時間の連続聴取、一定の音量を超えて聞くと難聴になる恐れがあることとそれを防止する説明があれば責任は問えないとされている。

しかし、若い時から長時間の騒音の被爆は人類の歴史上初めてのことであるがフィールド調査により聴覚への影響が懸念されている。
千万単位の人口があと数十年もすれば確実に難聴者となるのだ。この難聴は感音性難聴で高音域が聞きにくいため会話が出来なくなる。

携帯音楽プレーヤーのメーカーは社会的責任として、耳鼻科医、補聴器メーカー、当事者団体と協議をして、社会的な難聴啓発キャンペーンを行うべきだろう。
豪州、米国などでは、ヒアリングセンターが幅広い関係機関とで啓発キャンペーンを行っている。


ラビット 記
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難聴に関する Google ウェブ アラート
時事ドットコム
伊丹市に6500万円賠償命令
難聴治療で病院側に過失 ...
兵庫県伊丹市の市立伊丹病院で2003年、突発性難聴の治療を受け、入院中に死亡した同市の主婦=当時(46)=の夫ら3人が、伊丹市に約7400万円の損害賠償を ...
http://www.jiji.com/jc/zc?k=200906/2009063001054


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都議選と要約筆記事業

2009年07月12日 09時20分52秒 | 要約筆記事業
090712-052144.jpg朝一番で、都議会選挙の投票に行ってきた。郊外団地街だが意外と高齢者が多いのに驚いた。

難聴者協会で、都議候補者や都議会各政党に協会の要求に対する政見を問いただして、情報提供することが出来なかった。

東京都の要約筆記者派遣事業の廃止について、都議会に8千筆の署名を提出し各政党に要望もしたが、議会では質問にも取り上げられず当局と与党議員との話し合いで終わってしまった。野党からは連絡もない。

聴覚障害者関係団体や他の障害者団体への説明が足りず世論の展開が不十分だったかも知れない。
東京都が事業を実施する責任があるということと団体派遣の意義についての説明だ。

東京都は、要約筆記者派遣事業は区市町村の事業だからという一点張りだったが、静岡県では障害者自立支援法第77条2項により県が要約筆記者派遣事業を実施するという実施要項も出ている。
http://www.e-switch.jp/szdi-center/youyaku/youyakuyoukou.pdf

市町村で実施することが出来ない事業を肩代わりすること、広域で実施することが妥当な事業は都道府県が実施できるのだ。基礎自治体が必須事業が出来ないとき、広域事業体としての都道府県の責任になるはずだ。
東京都が団体派遣を区市への移行を強行したのは、東京都の予算を削減するための方策だったとしか思えない。

もう一つは、団体に対する要約筆記の派遣は「団体」に対する派遣というよりは難聴者等を含む「場」に対する支援だ。
コミュニケーションの本質が双方向の意志疎通であることを考えれば、聞こえない人にのみ対する支援ではなく、聞こえる人にとっても聞こえない人の参加の保障が不可欠だ。つまり、コミュニケーション支援は本質的にコミュニケーションの「場」への支援なのだ。
要約筆記が中途失聴、難聴者の団体派遣が制度化されてきたということはコミュニケーションの場への支援の制度化だったのだ。
東京都の考えた区市町村による費用按分方式は、団体派遣のようだが個人が一人ずつ派遣を依頼するという点ですでに団体派遣の意味がなくなっている。

東京都は、スウェーデンの国家予算にも匹敵する財政力があるのに、たかが数百万円の事業を止めなければならなかったのか。
今の都民に不要な東京五輪をあきらめ、緊急性の高い障害者の生活と健康、福祉を安定させるためにこそ、その力を使うべきだ。


ラビット 記




難聴者の合理的配慮の提案

2009年07月11日 16時28分38秒 | 権利
081129-130501.jpg以前のJDFフォーラムで当事者のからの発言で、難聴者の提言があった。

「合理的配慮」は、障害者権利条約に定義されている差別をなくすための措置で、行政や企業等民間組織も義務だが、個人の生活の場での筆談は国民に対する「合理的配慮」義務ではなく、「気配り」だというものだ。難聴者に対する自然な対応ということだろう。

合理的配慮は、障害を持たない人と平等な権利を行使できるようにするための様々な施策や措置をさすが、重要なことは「個別的に」対応するということだ。つまり一人一人のニーズに合わせることが求められる。

コミュニケーションの障害を持つ難聴者はひとそれぞれに合ったコミュニケーション支援を必要とする。しかも難聴者はその場、環境に応じても必要とする支援の内容が変わる。従って、それぞれに合わせた環境や支援を求めることになる。

手話通訳がいるから要約筆記は我慢しなければいけないとかはなく、今の講演は補聴器で良いが、次のパネルディスカッションの議論は白熱するのでノートテイカーの方が良いとかいう場合もある。

これは、難聴者の「わがままな」要求だろうか。いや、難聴という障害がその場に合わせた、多様なコミュニケーション支援を必要とする障害なのだ。ある人のある時の声は分かるのに、ここでは聞きにくかったなどと入うことはよくある。

問題は、難聴という障害が環境と心身状態によっても影響を受けやすいということとその対応方法もその場に合わせたものが求められるという社会的な理解が必要だろう。
そのために、当事者は何をすべきか、社会でどのような戦略が必要かを検討しなければならない。


ラビット 記




そっかあ!人工内耳と補聴器併用の勘どころ

2009年07月08日 08時19分55秒 | 人工内耳
090707-084609.jpg人工内耳と補聴器の装用の勘どころが分かった。

それは、人工内耳と補聴器の聞こえがバランスがとれている必要があるということだ。

補聴器で最良の状態で聞いている時に人工内耳を適切なモードで適切な感度とボリュウムで聞くと、明快に聞こえる時がある。
これは、パソコンでデジカメの写真を画像処理するとぼけていた写真がクリアーになるのと似ている。

しかし、これはバランスを取るのが難しい。
何で難しいか。まず周囲の音環境が問題だ。
うるさいところと言うよりは音環境が安定していないところで聞くのが難しい。
この数日、実際に経験したのはタクシーの中、居酒屋、会社のオフィス、雑踏、会議などだ。
うるさくてもそれが一定のうるささであれば人工内耳のビーム+ADROで意外と聞き取れる。居酒屋もワーンとなっていてもそんなに極端に盛り上がったりすることがない、ざわざわ、ワイワイという感じなら大丈夫だ。
一日の大半を過ごす会社のオフィスは、聞こえる時と聞こえない時があって一番困っているが、電話がひっきりなしになって複数の人が話し始めると難しい。上司が電話で話し始めると声が高い。シュレッダーを続けて操作していたりしたり、結構職場は音環境の変動が大きい。
会議も一昨日の会議はワンワンするスピーカーがあり、人によって声の大きさもマイクの持ち方が違うので補聴器で聞き取るのも一苦労だった。ついには補聴器も磁気ループも切って、字幕だけ見ていた。

バランスを取る難しさのもう一つの要因は人工内耳と補聴器の電池だ。交換したばかりなら出力の一定で聞こえにも歪みはないが、ある時間使用すれば、電圧が下がって出力が低下してくる。これは気をつけていれば分かりそうなものだが、日常的に変化の大きい音環境にいると気づかない。

人工内耳は電圧がちょっとでも下がるとプツッと切れるので電池を交換するが補聴器の方は寿命の後半は徐々に下がってくる。この人工内耳と補聴器の両方の電圧の下がり具合が違うのでよけいに調整が難しい。

こまめに手動で調整するのは大人でも無理だ。解決するには補聴器と人工内耳を一体にしたハイブリッド人工内耳か両者を協調させる機能が必要だ。


ラビット 記




都議選告示 NHKのニュースには字幕がない

2009年07月05日 19時55分42秒 | 生活
090703-224703.jpgNHKニュースで都議選の告示が放送されたが、ローカルには字幕がない。

都議選は、解散か任期満了の総選挙を控えた帰趨を占うものとして注目される。障害者にとってもぎりぎりまで削減された福祉予算を充実する候補者を選ぶ重要なものだ。

東京都は、要約筆記者派遣事業は区市町村の事業として、今年度からこれまで行われていた中途失聴・難聴者団体などへの要約筆記者派遣事業を廃止してしまった。
東京都としてコミュニケーション支援事業を復活させるのは今のオリンピック優先、新銀行など税金の無駄使いの都政を変える必要がある。
注目するゆえんだ。

ラビット 記




介護概論のスクーリング 難聴者の社会福祉の学習

2009年07月05日 19時51分31秒 | 社会福祉の学習
090705-165618.jpg今期最初のスクーリングだった。

大妻女子大学の是枝祥子先生が講師だった。
これまでその場その場で経験で行われていた援助をその行為の理由を明確にし、その結果の評価をすることだという。
初めは何か理解できなかったけれども、介護が契約となり、介護サービスの利用者と家族にサービスの内容をきちんと記録して、目的と結果を具体的に示すものにしなければならないというあたりで、援助を専門的支援とすることだと理解し始めた。

利用者に関する情報を収集して、そのニーズ、必要なサービスを分析・検討し、サービス内容と注意点、結果の評価、次の課題とする必要があるということだった。
明確化とはサービスに従事する人だけではなく、利用者と家族に分かるように文字で示すということ。

夕方になるとそわそわし始める認知症のおばあちゃんに介護職員が話しかけるというのは、長年家族の食事の用意をしてきたことや一人暮らしの息子のことを思っての行動と理解して、安心させるような言葉をかけることが出来るのが専門的支援だ。これを家族に説明するということだ。

もっと研究が必要だが、難聴者向け手話講習会は今後このような自立支援の視点が求められるのではないかと思った。自立生活センターで難聴者の指導にすでにこうした考えがある。


ラビット 記