楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

サクラ漫遊記 2ー「染井吉野桜記念公園」

2019年05月02日 04時36分07秒 | ひとり歩き旅
JR山手線「駒込駅」に降りる。

(駒込駅の跨線橋)


(駒込駅)


西口に出ると、すぐ右手が「染井吉野桜記念公園」があり、

ソメイヨシノの桜発祥の地の記念碑がある。

(染井吉野桜記念公園の石碑)


(染井吉野桜発祥の里 駒込の碑)


この記念碑によると、

「駒込の一部は江戸時代染井と呼ばれ、
巣鴨とともに花卉(かき)・植木の一大産地であった。
この地で江戸時代以後数多くの園芸品種誕生したが、
なかでも染井吉野は、当地の地名から名付けられ、
世界を代表する桜の品種となった。
左側の絵は、植木屋の第一人者、染井の伊藤伊兵衛の庭で
大勢の人が花を愛でている様子である。」とあり、
浮世絵が並び、下段には英語の案内がある。

(画像がよくないがその碑の拡大)


記念公園にしては小さなものであるが、

今まさにソメイヨシノの満開の時期を迎えて、ボクを含めちらほらと訪問客があった。

(その公園のサクラ1)


(その公園のサクラ2)


(その公園のサクラ3)


この公園の奥に豊島区立駒込図書館がある。

入って見るとソメイヨシノに関わる資料が展示されており、

パンフレットも置かれて居たので「桜物語」なる小冊子を頂いて帰る。

そもそも「ソメイヨシノ」と言う名前はについて、

ボクは染井村在住の植木屋の吉野さんが、

エドヒガンとオオシマサクラを交配して作ったので、

植木屋さんの名前を取って、染井吉野と言う名が付いたと思いこんでいた。

ところが、染井よしの桜の里駒込協議会の説明によれば、

「ソメイヨシノは、オオシマサクラとエドヒガンザクラ
交配種と言われ、幕末に誕生しました。
明治時代には、奈良吉野山の山桜との混同を避けるため、
染井吉野と言う名前が付きました。」とあるが、

ボクが思い込んでいた「染井村の植木屋の吉野さん」から

採った名前だった方がロマンを感じて良いと、

ボクは勝手に思って居る。

(染井吉野桜のトンネル)


次回は「染井霊園」



コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Potora!  NTTグループ運営!