織部灯籠とは、灯籠の台石が無く地中に埋め込まれ、
竿の部分にお坊さんが手を合わせた図柄があるもので、
またの名をキリシタン灯籠と言います。
(織部灯籠別名キリシタン灯籠)
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この灯籠は何処にあるかと言うと、板橋区志村の延命寺にあるのです。
日本橋から旧中山道三番目の一里塚が板橋区の
竿の部分にお坊さんが手を合わせた図柄があるもので、
またの名をキリシタン灯籠と言います。
(織部灯籠別名キリシタン灯籠)
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この灯籠は何処にあるかと言うと、板橋区志村の延命寺にあるのです。
日本橋から旧中山道三番目の一里塚が板橋区の
志村(都営地下鉄三田線志村坂上駅)にあります。
現在は道路の両側にあるその一里塚は、
当初五街道を造った時のままの位置に、
そのままあることを立証された方がいました。
なぜこんなことを証明しなければならないかと言うと、
旧中山道の道路幅は狭くて、
現在は道路の両側にあるその一里塚は、
当初五街道を造った時のままの位置に、
そのままあることを立証された方がいました。
なぜこんなことを証明しなければならないかと言うと、
旧中山道の道路幅は狭くて、
現在の両側三車線もある道路幅は無かったからです。
それなのに一里塚は道路に面して左右両側にあるのです。
(志村の一里塚)
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しかし、一里塚は必ずしも道路の両脇に
それなのに一里塚は道路に面して左右両側にあるのです。
(志村の一里塚)
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しかし、一里塚は必ずしも道路の両脇に
面して居なければならないと言うことはありませんでした。
旧中山道の両脇の十数メートル
旧中山道の両脇の十数メートル
奥まって造られても問題は無かったようです。
現存する一里塚でも道路わきに
現存する一里塚でも道路わきに
民家があってその奥に一里塚があるものもあります。
(道路から離れた葡萄畑の中にある平出の一里塚)
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(もう片方の一里塚は民家の奥にある)
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また山道では、一里塚は道路に面して両側にあっても、
左右が前後に十メートル以上離れている場合もあります。
本題からかなり反れてしまいました。
志村の一里塚から東へ二百メートルほど入った所に、
見次公園があって、その公園からさらに北へ数百メートルのところに、
延命寺という真言宗のお寺があります。
(見次公園の信号)
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(延命寺門前)
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(延命寺の由来)
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(見次山松寿院延命寺の石碑)
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(門前から見る本堂)
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(本堂を正面から)
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(六地蔵尊)
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延命寺の由来には、
「延命寺は正式には見次山松寿院延命寺と言います。
当時は、見次山と号する真言宗の寺院で、ご本尊は地蔵菩薩です。
開山は頼真、開基は見次権兵衛とされています。
大永四年(1524)、北条氏綱は、上杉朝興が拠点としていた江戸城を
攻め落としました。結果上杉勢は川越へ遁走しますが、
その際には志村城でも戦闘が行われていたと言います。
戦いの中で、志村城主篠田五郎の家臣見次権兵衛は、
子息権太郎が討ち死にするのを目の当たりにし、
戦後、息子の菩提を弔うために居宅を供して寺院とし、
自らは開基となったと伝わります。
(中略)
正保四年(1647)に造立された庚申薬師があり、
舟形光背を有し薬師が刻まれた庚申塔で、
いぼとりの「蛸薬師」として知られます。(後略)」
(門前の蛸薬師の石碑)
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(蛸薬師のお堂)
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(舟形光背の蛸薬師)
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さて、門をくぐると右手に鐘楼があります。
その鐘楼と門に繋がる塀との間に一人しか通れない小道があり、
その道に沿って中に入ると、
右手に皇太子殿下ご成婚記念の石碑があり、
よく見ると大正13年1月26日建立と刻まれています。
(鐘楼)
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(皇太子殿下ご成婚記念碑)
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大正13年と言うことは、
(道路から離れた葡萄畑の中にある平出の一里塚)
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(もう片方の一里塚は民家の奥にある)
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また山道では、一里塚は道路に面して両側にあっても、
左右が前後に十メートル以上離れている場合もあります。
本題からかなり反れてしまいました。
志村の一里塚から東へ二百メートルほど入った所に、
見次公園があって、その公園からさらに北へ数百メートルのところに、
延命寺という真言宗のお寺があります。
(見次公園の信号)
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(延命寺門前)
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(延命寺の由来)
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(見次山松寿院延命寺の石碑)
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(門前から見る本堂)
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(本堂を正面から)
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(六地蔵尊)
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延命寺の由来には、
「延命寺は正式には見次山松寿院延命寺と言います。
当時は、見次山と号する真言宗の寺院で、ご本尊は地蔵菩薩です。
開山は頼真、開基は見次権兵衛とされています。
大永四年(1524)、北条氏綱は、上杉朝興が拠点としていた江戸城を
攻め落としました。結果上杉勢は川越へ遁走しますが、
その際には志村城でも戦闘が行われていたと言います。
戦いの中で、志村城主篠田五郎の家臣見次権兵衛は、
子息権太郎が討ち死にするのを目の当たりにし、
戦後、息子の菩提を弔うために居宅を供して寺院とし、
自らは開基となったと伝わります。
(中略)
正保四年(1647)に造立された庚申薬師があり、
舟形光背を有し薬師が刻まれた庚申塔で、
いぼとりの「蛸薬師」として知られます。(後略)」
(門前の蛸薬師の石碑)
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(蛸薬師のお堂)
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(舟形光背の蛸薬師)
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さて、門をくぐると右手に鐘楼があります。
その鐘楼と門に繋がる塀との間に一人しか通れない小道があり、
その道に沿って中に入ると、
右手に皇太子殿下ご成婚記念の石碑があり、
よく見ると大正13年1月26日建立と刻まれています。
(鐘楼)
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(皇太子殿下ご成婚記念碑)
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大正13年と言うことは、
昭和天皇のご成婚記念と言うことになります。
つまり今回天皇になられた令和天皇のお爺ちゃんが
つまり今回天皇になられた令和天皇のお爺ちゃんが
結婚した時の記念碑だと言うことになる。
その先にやや開けた場所があり、
正面に表題の織部灯籠
その先にやや開けた場所があり、
正面に表題の織部灯籠
(またの名をキリシタン灯籠と言う)があります。
(織部灯籠別名キリシタン灯籠)
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キリシタン灯籠については、こちらをご覧ください。
ボクのブログの中で、毎日ベスト10に入っている人気記事です。
(1)から(4)まであります。
話が飛びましたが、この延命寺の開基の見次権兵衛について~
次回へつづく
(織部灯籠別名キリシタン灯籠)
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キリシタン灯籠については、こちらをご覧ください。
ボクのブログの中で、毎日ベスト10に入っている人気記事です。
(1)から(4)まであります。
話が飛びましたが、この延命寺の開基の見次権兵衛について~
次回へつづく