楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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サクラ漫遊記5-「染井霊園の周囲の慈眼寺と本妙寺」

2019年05月08日 04時51分30秒 | ひとり歩き旅
霊園の周囲には、寺院が沢山ある。

第十代将軍徳川家治に寵愛された田沼意次のお墓がある勝林寺。

高浜虚子に師事して、虚子の客観写生に対し「主観」を主張したと言われる、

俳句の水原秋櫻子のお墓の専修院があるが、


ここで取り上げたいのは慈眼寺と本妙寺である。

染井霊園事務所から北へ出ると慈眼寺なるお寺がある。

(慈眼寺の石の門柱)


石柱の左手の通路を入って行くと墓地があり、

ここには芥が龍之介と谷崎潤一郎、司馬江漢、小林平八郎らのお墓がある。

(芥川龍之介のお墓への案内標柱)


(芥川龍之介のお墓)


(芥川龍之介のお墓の拡大)


芥川龍之介は説明するまでも無く、小説の分野で「芥川賞」と言う賞があって、

純文学の登竜門となる賞で名高い。

最近では、お笑いタレントの又吉直樹が「火花」で芥川賞を受賞した。

また、芥川龍之介の子供たち、その一人は音楽家で芥川也寸志、一人は俳優で芥川比呂志で、

そのお墓も以前は見かけたが、今は見当たらない。

芥川龍之介の小説で中学生の頃読んだ「羅生門」、「芋粥」、「蜘蛛の糸」など、

少なからずボクの人生のあり方に影響を与えている。


その先に司馬江漢の墓がある。

ボクはこの方については絵画以外の情報は持って居ないので、

お墓の前にあった東京都教育委員会の案内をご覧ください。

(司馬江漢の墓と案内標柱)


(司馬江漢の履歴案内板)


少し進んだ所に谷崎潤一郎の墓がある。

(谷崎家の墓)


(谷崎家の墓とその横にある潤一郎の墓碑)


(谷崎潤一郎の墓)


谷崎潤一郎の墓の案内標柱が無いので見落としそう。

ここに遺髪だけが残っていると案内があったからだろうか、

本来のお墓はどこか他の場所にある様だ。

谷崎潤一郎の小説は耽美主義で、小説「細雪」、「春琴抄」、

「痴人の愛」などであまりにも有名である。

その昔、ノーベル文学賞ものと騒がれたが、

現代の村上春樹のようなもので、賞には届かなかったようだ。


このほか忠臣蔵で吉良上野介の護衛役として忠実にその役目を果たした、

小林平八郎のお墓もある。

(小林平八郎の墓)



この慈眼寺を出て西北方向に行くと本妙寺がある。

(慈眼寺から西北へ向かう)


(徳栄山本妙寺山門)


ここには名奉行で名高い遠山の金さんこと遠山金四郎景元のお墓、

北辰一刀流の創始者 千葉周作、日本最初の通辞 森山多吉郎の墓なども・・・・。

(山門前の遠山金四郎の墓の標柱)


(本妙寺本堂)


本妙寺本堂前で賽銭を入れ、右手のお墓に入るとすぐ、

日本最初の通辞 森山多吉郎のお墓がある。

多吉郎は日本最初の英語の通訳として、黒船来航のペリーやハリスの通訳として活躍した。

(森山多吉郎の墓)


(森山多吉郎の墓の拡大)


森山多吉郎の墓の先に、遠山金四郎と千葉周作のお墓の案内がある。

(遠山金四郎、千葉周作の墓の案内標柱)


(遠山金四郎の墓)


(千葉周作のお墓)


(千葉周作の墓の拡大)


遠山金四郎は江戸町奉行として大岡越前守と並び称される名奉行で、

俳優 松方弘樹の当たり役で、

「知らねえとは言わさねぇぞ、この桜吹雪を見忘れたかぁ!」と

片肌脱いで刺青を見せ、切る啖呵に見入らされた。

また千葉周作はご存知の北辰一刀流の創始者で、

幕末に活躍し江戸城無血開城の交渉に当たった山岡鉄舟はその弟子に当たる。


さて、染井霊園とその周辺について、もう少し見学したい向きには、

一度、お訪ねいただくのが宜しいかと・・・・・。


コメント (8)
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