(遊行柳)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/27/827868cd588f7831f87abcb13eb92462.jpg)
(那須・芦野)
国道294号線は一面の田畑の中を行くが、
芦野に入ってすぐ左側に、空に向って一握りの柳の塊あるのが見える。
「遊行柳」云われるもので、芭蕉は「清水流るるの柳」といっている。
「清水流るるの柳」は、思慕する西行の歌、
・道の辺に 清水流るる柳蔭 しばしとてこそ 立ちどまりつれ
から取ったものだ。
(西行法師の歌碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/f5/e9cc1977de02b4ad295246e42f3ca6ab.jpg)
一方で「遊行柳」は謡曲「遊行柳」から出たものといい、
謡曲史跡保存会の説明によると、
(その昔、諸国巡歴の遊行上人が、奥州白河の関のあたりで、
老翁に呼び止められ、「道のべに清水流るる柳かげ」と西行法師が詠じた、
銘木の柳の前に案内され、
そのあまりに古びた様子に、
上人が十念(念仏)を授けると老翁は消え去った。
念仏を唱え回向を続ける上人の前に、夜更け頃、
烏帽子狩衣の老翁が現れて、
「遊行上人の十念(念仏)を得て、
非情の草木ながら極楽往生が出来ました」と喜び、
幽玄の舞を通して、念仏のご利益を見せる名曲。
-中略―
星移って遊行十九代尊皓上人巡化の折、
老翁姿の柳の精が出現して、
上人を案内したとのいわれから、
やがて「遊行柳」と呼ばれるようになったと言う。
柳は以来何代にも渡って植え継がれてきた。)とある。
老翁に呼び止められ、「道のべに清水流るる柳かげ」と西行法師が詠じた、
銘木の柳の前に案内され、
そのあまりに古びた様子に、
上人が十念(念仏)を授けると老翁は消え去った。
念仏を唱え回向を続ける上人の前に、夜更け頃、
烏帽子狩衣の老翁が現れて、
「遊行上人の十念(念仏)を得て、
非情の草木ながら極楽往生が出来ました」と喜び、
幽玄の舞を通して、念仏のご利益を見せる名曲。
-中略―
星移って遊行十九代尊皓上人巡化の折、
老翁姿の柳の精が出現して、
上人を案内したとのいわれから、
やがて「遊行柳」と呼ばれるようになったと言う。
柳は以来何代にも渡って植え継がれてきた。)とある。
国道294号線を行くと、左手に「遊行庵」があり、
無料休憩所、駐車場も完備されているので、
ここに車を止め、200mほど田んぼの中を歩く。
「那須町指定史跡 遊行柳」の標柱がある。
(遊行庵)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/00/f20158c6cb88616d553ac77b23b29bb5.jpg)
(遊行柳への道案内)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/b4/cafeed71f48e5de6ee02447b3ca5f16b.jpg)
(田圃の中の道の標柱)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/b6/9f4bf8e90c92aa1f5c19a0416b32ecd1.jpg)
「おくのほそ道」の原文には、
(芦野の里にありて、田の畦に残る。
このところの郡守戸部某(とべなにがし)の、
「この柳みせばや」など、折々にの給ひ聞こえ給ふを、・・・)
このところの郡守戸部某(とべなにがし)の、
「この柳みせばや」など、折々にの給ひ聞こえ給ふを、・・・)
とあるように、今でも田の中の畦道を行く。
柳は石の鳥居に沿って植えられており、
鳥居は奥に見える大銀杏の木に囲まれた
温泉神社の参道に植えられたものである。
(石の鳥居の向こうにある温泉神社の大銀杏)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/85/b8a63167b57c147c63c6503f032ecc74.jpg)
この原文にある「この所の郡守戸部某」は、
この地域を所領にしていた領主、
19代芦野民部資俊(あしのみんぶすけとし)を指しており、
芦野氏の菩提寺である建中寺は遊行柳の近くにあり、
山上の立派なお寺の墓地に、
石垣に囲まれ苔むしたお墓が現存している。
(建中寺の本堂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/d8/b30bf1e6d9a038ec73e254208ed42943.jpg)
(建中寺の鐘楼)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/7a/9da8454cd18a10ba343eafd2ab3ec9f5.jpg)
(芦野民部資俊の墓がある丘の紅葉)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/b9/b1115bd50bbafc44be44f07feac13771.jpg)
(芦野民部資俊の墓)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/8b/d7bf52ed5efc6dd039294797c14d4bb8.jpg)
また、この柳の下に芭蕉句碑、
・田一枚 植えて立ち去る 柳かな 芭蕉
があり、
その反対側に西行法師の「道の辺に清水流れる・・・」の歌碑がある。
そして、この歌碑の背後には与謝蕪村の漢詩仕立ての句碑
・柳散清水涸石処々(やなぎちり しみずかれいし ところどころ)
の俳句がある。
(芭蕉の句碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/30/7056448a30c5253b37bb4462668e343c.jpg)
(与謝蕪村の漢詩風の句碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/0c/74e6a0e411b6ed5fc47a846434954b0a.jpg)
車を停めた遊行庵にもどり、家路に付いた。
PM15:30で帰京したのが18時であった。
(墓地のある芦野の丘の紅葉)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/a2/e3f8464205736f44162c61d2615eefe3.jpg)
・招かれし 芦野の丘に 落ち葉かな hide-san
(*)この後、東北は雪のため、「芭蕉の道を歩く」のは、
2013年春の雪解けを待って再開したいと思います。
実家の近くにあります。
2~3度は訪れているんですが「カイドウ」の花が
咲く頃にもう一度行ってみたいですな。
遊行柳の地を興味を持って拝見させて頂きましたよ。
嬉しいですね。
書き続けるのに力がわいてきます。
有難うございます。
今頃は横殴りの吹雪に
遠く白河の関も霞んでいることでしょう。
芭蕉の行跡楽しく拝見しました。
行間に曽良の忠心も見えていましたから
一幅の絵のようでした。
来春を楽しみにしています。
それまでは、今までの歩き旅の感想などを綴りたいと思っています。
よろしくお願いします。
歌に詠まれて歴史を感じます。
中に住む虫を餌に川釣りしたこともあります。
「清水流れるところ」とか「田の畔道」とか、
水に縁の深い木とおもえますね。
〔切ったり折り曲げたりすると水分が多いような気が〕
柳の大木は余り聞いた事ありませんが「銘木の柳」とは
今も現存?。柳は建築資材とか利用価値は少ない木ですが
シダレヤナギとか、風流を感じさせる木かもしれませんね。
そこに出てくる場所を尋ねています。
左右に埋立地を流れる運河に沿って植えられたようですね。