なぜ「椰子の実」を思い出したのか、
未だに分からない。
wikipediaによれば、
「椰子の実」は1898年(明治31年)の夏、
1ヶ月半ほど伊良湖岬に滞在した
柳田國男が恋路ヶ浜に流れ着いた椰子の実の話を藤村に語り、
島崎藤村がその話を元に創作したものである。
1936年(昭和11年)7月、
日本放送協会大阪中央放送局で放送中だった
『国民歌謡』の担当者が作曲家の大中寅二を訪問し、
この詩に曲を付すよう依頼し、7月9日には曲が完成した。
以上は(wikipediaより)
歌ったのは東海林太郎で、
ポリドール・レコードで録音した。
椰子の実 東海林太郎
東海林太郎と言えば、
ボクは「名月赤城山」や「赤城の子守歌」で、
昭和初期に大流行し、東海林太郎が一躍有名になり、
明治生まれの父や母がラジオを聞いていたのを覚えている。
赤城の子守唄 昭和9年 東海林 太郎 (しょうじたろう) 唄
この歌を聞いて、在りし日の父母を思い出し、
目頭が熱くなった。
(とうさん! かあさん!
あなた方のお子さんは6人いましたが、
今は、次女と長男だけになりました。
二人は元気?に生活しています。
どうぞ、安心してくださいますように・・・)
と祈るばかりである。
私もカラオケで「国境の町」や「野崎小唄」など
歌いますが、コロナ後はカラオケもご無沙汰ですけど。
夏に逆戻りの感が有りましたが、
一転、今日(11/18)は朝の気温(14℃)が下がっております。
これで本格的に初冬になるのでしょうか?