楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

たんぽぽ (散歩に出て思うこと 29)

2004年06月08日 06時15分00秒 | つれづれなるままに考えること
(たんぽぽ)
どんよりと暗くて寒い冬から抜け出して、
春の暖かさや明るさを教えてくれるタンポポは、
黄色の花を枯れ草の上の見せるのは2月始めで、
五月になると花と葱坊主のような白い綿帽子の種とが、
半々になる。

よく見ると綿帽子の種は、花よりも高くそびえている。
長さが花の茎より二倍から三倍あるのに気が付く。
種を遠くまで飛ばすためであろうが、草むらに
にょっきり突き出しているから、よく目立つ。

その種の綿帽子は、少し風が吹くと飛んでいってしまう。
白くて丸い綿帽子が出来る途中経過を、見たことがない。
茎がどんな具合に花の茎より長くなるのだろうか?
丸い綿帽子になる前は、あの種はどんな
格好をしているのだろうか?
三角なのだろうか?
どんな格好をしているか知らないが、
あの種はどのように開いていくのだろうか?

疑問は尽きない。

人間を長くやっていても知らないことは沢山ある。
以前鳩の交尾する話を書いたことがあるが、
ボクの観察は、せいぜい数回である。
それだけでは、どうやら正解はつかめそうにないらしい。
鳥の図鑑を見ていたら、亜麻色サギ(?)と思ったが、
この鳥の交尾を観察した方がいらっしゃる。
説明によれば、「この鳥は一夫一婦制である」とある。
驚いたことに、この鳥の交尾するシーンを
千数百回観察した結果だという。
科学者には頭が下がる。真実を追究するということは、
こうある必要がある。

ボクの観察はたかだか数回。これで真実かもしれないが、
事実は違う可能性もある。

そんな観察結果を基に、エッセイらしからぬ文章を
書いて得意になって、エッセイだと思っていますので、
それなりにお読みいただきたいものである。
もっとも、だからエッセイだということになるかもしれない。

さて、タンポポであるが、地面から数センチのところで、
黄色の見事に鮮やかな花を咲かせるが、
咲き終わると、ガクが沢山の花びらを包むようにして萎んで、
地面に横たわる。そのうちにガクが黄色のしおれた花びらを
吐き出すと、茎がだんだん伸びて、ガクにつつまれた部分が
膨らむと、その中に種が出来ていく。
白い綿帽子は、ガクにつつまれた中で出来上がっていく。
種が出来て、もういつでも飛んでいける状態になると、
長く伸びた茎が立ち上がる。黄色の花より2~3倍茎は長い。
ガクは萎んだままである。やがて徐々にガクが開き円錐形から、
扇型に開き、全開になると、綿帽子の出来上がりとなる。

タンポポで思い出したが、
この根っこは、焙ってせんじて呑むとコーヒーと
同じ味がするという。
これは薬剤師になった友人の話である。
コーヒーは成分がよくなくて、子供に飲ませないようにと、
よく言われる。カフェインの所為かと思ったが、
どうやら違っていそうである。

カフェインなら紅茶や緑茶の方が沢山あるが、
紅茶や緑茶は子供に飲ませてはならないとは、言わない。
コーヒーには幻覚剤となる成分が入っているらしい。
だから子供に飲ませてはいけない、という。

よく会議などで、議論が沸騰した時など
「コーヒーでも飲んで気分が落ち着かせるか」というが、
実は気分が落ち着くのではなく、コーヒーの持つ幻覚作用で、
頭の中が、かく乱させているだけであるという。
それを気分が落ち着いたと感じているらしい。

そこで、コーヒーならぬタンポポの根を焙って、
煎じて飲むとこれは本当に気分が落ち着くそうだ。
たんぽぽのコーヒーには鎮静作用があるからだという。

根っこといえば、ヤマゴボウの味噌付けの、
ヤマゴボウのことを長い間、野に生えているゴボウのことだと
思い込んでいたら、これが大間違いであった。
なぜ気が付いたかというと、ボクはヤマゴボウの味噌付けが、
大の好物で、普通八百屋さんで売っているゴボウを、
カミさんに頼んで味噌付けにしてもらった。
それを食べたらこれはこれで美味しいのであるが、
味がぜんぜん違っていた。

そこで、ヤマゴボウの味噌付けを作って、
売っているところで聞いたら、驚くなかれ、
ヤマゴボウはアザミの根っこであるという。

知らないというのは恐ろしい。
知らないことは、きっともっと沢山あるに違いない。
もう、かれこれ70年も生きているのに、

知らないことの如何に多いことか・・・





姪の結婚式 (生きる 13)

2004年06月07日 07時28分00秒 | つれづれなるままに考えること
(姪の結婚式)
ボクの末の弟の娘-姪-が結婚するので
‘04年4月4日(日)PM4時に神戸で、
結婚式を挙げるので、参列して欲しいと、
弟から依頼があったのは昨年11月のこと。
二つ返事でOKといったが、すぐ暦を見て驚いた。
その日はちょうど仏滅。
仏滅なんてことは、今の若い人は関係ないらしく、
弟は初めから解っていたようだ。

それなら問題なかろうと、
今年4月4日朝、夫婦で礼服を着込んで、
異常気象で気温が低かったので、コートも着て
電車に乗った。

電車に乗ると、隣に座っている御婦人の会話で、
「4月4日の仏滅に、まさか結婚式はないわよ」と、
耳に入ってきた。

日本人は、4の数字は「死」につながるので、忌み嫌う。
ボクが入院していたT大学病院には、四階が無く、
エレベーターにも当然4階のボタンは無かった。
勿論、病室の番号も304、504、・・・704番も
無かった。それほど「4」を嫌う。

なのに、よりによって「‘04.04.04.PM4時。」
よくもこれだけ選んだものと感心した。

案内状には、「チャペルで挙式」とある。
彼女はクリスチャンでもないし、ひょっとすると
結婚相手の方がクリスチャンかと思ったが、関係ないらしい。

弟は柄にも無く、その日は花嫁の父を演じて、
ヴァージンロードを歩くらしい。
リハーサルで参ったとは言いながら、嬉しそうであった。

式が始まると、どういうわけかこんな時はいつも外国人の
牧師というか神父様である。英語と日本語をごちゃ混ぜにした
スピーチで式を進行させる。

ボクに言わせると「ふざけるな!ここは日本だぞ!
日本語でしゃべれ!」である。
並み居る参列者は全部日本人である。
どうして日本語以外に英語が出てくるのだ。
「本人が日本語訳を知らないのなら、ボクのところへ言って来い!
ボクが翻訳してやる!」

だいたい、日本人ほど宗教に無関心な民族は居ない。
チョコレート屋さんに騙されて、チョコレートを贈る
バレンタインデー、仏教儀式の花祭り、お盆にお彼岸、
そしてキリスト教のクリスマス。

結婚式は神前で最近はキリスト教も入れて、葬式は仏式でやる、
天で神様は、目を白黒させているに違いない。

今日亡くなった人は結婚式を神前でやったから、
天で神様が、てぐすね引いて待っていると、仏教式で葬式。
天では、仏陀が私の出番と、神様と入れ替わる。
あわただしいことこの上ない。

話がそれたが、厳かな式では聖書から引用して、
これから夫婦はこうあるべきであるというようなことを
話している。
結婚するご両人は聞いているのか居ないのか、
わかっているのか居ないのか、プロにお願いした
ビデオがだまって回っているだけである。

そして次が賛美歌。参列者の誰もが(いや、少なくも
一人はクリスチャンだから)初めて歌う歌。

賛美歌312番、147番、541番というが、
音符と歌詞がある小冊子を貰ってはいるが、
誰もが音符を読めるわけではない。
ボクなんか音符は自慢ではないが何も知らない。
知っているのはト音記号だけだから、
「歌え!」といわれても、ト音記号だけでは
とても歌えない。

歌詞は、ひらがなで書いてあるから読めるので、
みんなが歌っている間、読んで見た。

賛美歌312番

いつくしみふかき、ともなるイエスは
つみとがうれいを とりさりたもう
こころのなげきを つつまずのべて
などかはおろさぬ おえるおもにを

どうもこう言うことらしい。

慈しみ深い 友人のイエスは
罪、咎、憂いを 取り去ってくださる
心の嘆きを 包まず述べると
背負える重荷を なぜか背負ったまま
下ろさないで 持っていてくれる

その2節、

慈しみ深い 友人のイエスは
我らの弱気を 知っていて哀れむ
悩み、悲しみに 沈んでいる時も
お祈りに答えて 慰めてくれる

なんかすごく優しい神様である。
しかもこの神様は、お友達なのだ。

賛美歌147番、541番と続くが、
家庭を築くと我が家ほど素晴らしいところは無い、
という内容になっている。

宴は進み、一言、新郎新婦に贈る言葉を書いて欲しいと、
依頼があった。

何と書こうか?

“幸せとは何? 答えは自分で探して・・・”

とした。

兄弟姉妹の末娘、人もうらやむほど、
幸せになって欲しい!!

そう願って帰路にについた。


「人は生まれると父母を得、兄弟姉妹を得る。
長ずるに及び友を得、妻または夫を得る。
子を育み、やがて父母を失い、友を失う。
兄弟姉妹を失い、妻または夫を失いて、そして終わる」




結婚 (生きる 14)

2004年06月06日 06時32分00秒 | つれづれなるままに考えること
(結婚)
結婚は一つとして同じものはない。
だから、これが見本というものもない。

結婚は新しい一つのあり方を、男女二人で創り上げていく。
困難な作業である。
だから、周りの人は「おめでとう!」と言って元気付ける。
そして披露宴の席では、出席者の数以上の「おめでとう!」を
エイプリル・シャワーのように浴びせられる。

結婚する前にお互いをよく見ておいて、
お互いに持っている嫌な所を知った上で、
そのいやな箇所が目を閉じれば我慢が出来る範囲であれば、
きっと結婚はうまく行く。

一つでも我慢できない箇所があると、
毎日顔を合わせるわけだから、身動きが取れなくなる。
その我慢できないことが、日に日に増幅してきて、
耐えられなくなる。

こんな結婚は不幸である。

一昔前までは、人生僅か50年であったが、
今や人生80年時代、結婚してからおよそ半世紀、
一緒に生活することになる。
半世紀も我慢しているのは非常につらい。

だから結婚する前は、相手を両目で
しっかり観察して欲しい。

そして結婚したら、
片目で相手の良いところを見て、
もう一方の目は閉じて、
我慢できる範囲の嫌なところを見ないようにすれば、
何とか80年を
楽しく過ごすことが出来る違いない。

そんな結婚生活が望ましい!


「人は生まれると父母を得、兄弟姉妹を得る。
長ずるに及び友を得、妻または夫を得る。
子を育み、やがて父母を失い、友を失う。
兄弟姉妹を失い、妻または夫を失いて、そして終わる」



人の噂も75日(生きる 12)

2004年06月04日 05時28分00秒 | つれづれなるままに考えること

(人の噂も75日)

以前、一休さんの和歌を紹介したことがある。
どんな噂も、興味本位ですぐに忘れ去られる。
噂される本人にとっては、死ぬほどいやな思いのあることでも、
時間が来れば忘れ去られてしまう。

その歌は

(たそにたそ たそたそにたそ たそにたそ 
たそにたそとて なにもなきかな)

そして、その意味は、(たそ=誰ぞ)であるから、
誰だ、誰だ、誰だ、誰だ、と噂をしても、何もならないよ。
余計な詮索をしても何も無いよ。空しいだけよ。空虚だよ。
と解釈できる。

他にも、いろいろ解釈できる。
凡人は余計なことを考えても意味が無いよ。
まっとうに生きていればそれで良い。
噂話なんかに興味を持たないで、もっと他に興味を持ち、
自らの生活を、心を、向上させた方が良い。

という意味にもとれる。とても意味深い。

人間の噂なんてものは、興味本位のものだから、
どんなに興味深いことでも、およそ75日もあれば、
忘れ去られてしまう。

自分が噂されている時でも、75日もあれば、
元の木阿弥になるのだから、気にすることは無い。
第一、 一つのことをいつまでも覚えているほど、
暇は無い。次から次へと
新しいニュースが飛び込んでくるのであるから。

「人の噂も75日」とは、よくその本質を掴んでいる。
昔の人は、よく物事を見ている。

今の時代は情報が氾濫していて、どれを採ればよいか、
判断に苦しむ人が沢山いるに違いない。
そんな時、自分の生きる指針が決まっている人には、
物事の本質が見えてくるから、その本質を捉えることが出来、
取捨選択が可能になる。

色んな情報の中から、これこそ自分が情報として取得して
置かねばならぬこと。と分かるのは不思議だ。
「おや?」と疑問が起きる事柄は、異質であり、本物ではない。

本物をキチンと捉えられるよう、正しい人生のあり方を、
なるべく早いうちに、定めておくべきである。

さて、ボクがCafe Ocnを一時中断してから、
結構な日にちが経つ。
毎日、足跡だけは見ていた。するとそれまで平均50人の
訪問者があったのが、平均10名になった。約20%。
「去るものは日々に疎し」とはこのことだ。

「人の話題に上るのも、たかだか75日」のことである。

色んなニュースがある。
人の死
殺した
盗んだ
sexした
自殺未遂
心中
焼死
政治
経済
国際
生活
数え切れない。

そんなニュースも75日もあれば完全に忘れ去れてしまう。
くよくよ考えることは何も無い。
およそ人間なんていい加減なもの。

第一、 生きていても、たかだか80年。
そのうち、自分で考え、嘆き、悲しみ、喜び、楽しめる、
そんな時間はおよそ60年程度。
だから、同じことを75日も覚えていられない。
明日のことを考えなければならないからだ。

それにしても、そんな中、時代を超え、
繰り返し繰り返し100年以上も読まれる名作は、
一体どんな魅力を備えているのだろうか?

すごいことだと思う。


「人は生まれると父母を得、兄弟姉妹を得る。
長ずるに及び友を得、妻または夫を得る。
子を育み、やがて父母を失い、友を失う。
兄弟姉妹を失い、妻または夫を失いて、そして終わる」






赤ちゃん (生きる 11)

2004年06月03日 07時59分00秒 | つれづれなるままに考えること
「人は生まれると父母を得、兄弟姉妹を得る。
長ずるに及び友を得、妻または夫を得る。
子を育み、やがて父母を失い、友を失う。
兄弟姉妹を失い、妻または夫を失いて、そして終わる」

(赤ちゃん)
我が家のカミさんの胸は貧弱で、普段は
ほんのすこしふくらみがある程度で、その上に
乳首が付いているという代物である。

それでも、赤ちゃんの出産が間近になると、
乳房はふくらみ大きくなって、授乳できるほどになる。
人体ほど巧妙にそして精密に出来たものは無い。

生命が誕生することは、最も神秘的な現象であるが、
生命を維持する装置が、同時に発達してくるということも、
実に神秘的で、神様に感謝しなければならないであろう。

子供が生まれて、すぐの初乳は母親が持つ
ばい菌に対する免疫が含まれているという。
非常に濃度の濃い母乳が出る。
その初乳を貰って子供は、風邪も引かず、
すくすくと育つという。

長男が生まれた産院の入院室は、
4人部屋でそれぞれ初産の人や、
二回目三回目の御婦人と同室であった。
中にとても体格の良い、胸も豊かな御婦人がいた。
うちのカミさんは、痩せ型で胸も貧弱であるが、
母乳はたっぷり出て、赤ん坊に十分な授乳が出来たが、
その体格が良くて、胸もたっぷりで豊満なお母さんの
母乳はあまり母乳が出ず、最初から人工(?)ミルクを
与えなければならなかった。

人は見かけによらないものだ。
貧弱な体の、貧弱なオッパイは、
母乳がたっぷりであるのに反して、
豊満な肉体の豊満なオッパイからは、母乳が足りない。

貧弱なオッパイは中身が空で、何も入っていないから、母乳がたまる。
豊満なオッパイは中身が詰まっているから、母乳を中に溜める余地がない。
そんな仕組みなのだろうか?
ボクには解らない。

御主人がお見舞いに来て、哺乳瓶から赤ちゃんに授乳しながら、
「お前のお母さんのオッパイは見掛け倒しで、
形だけ大きくても、中身は空で、役に立たないんだよ」と、
部屋中に聞こえる声で、赤ちゃんに話しながら、
ミルクを赤ちゃんに与えていた。
「本当に見掛け倒しなんだから、ね!」と話している。

ボクはくすくす笑いがこみ上げてきた。
亭主の手のひらの中で、大きくてさわり心地の良い、
オッパイに相当期待があったのだと、思った。

御主人は、妻に母乳が出ないので、赤ちゃんのミルク代を
余分に稼がなければならないと、
赤ちゃんに話しかけながら、授乳していた。

赤ちゃんこそいい面の皮である。赤ちゃんには何の責任も無い。








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