楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

獅子舞ー自然観察公園の古民家で

2017年01月14日 05時09分32秒 | 日記

(獅子舞の案内画)


白い鼻緒の草履をはいた女の子は、
古民家で演じられる縁起の良い舞を披露する何かを演ずる子だと解った。

ボクの子供の頃、正月になると、獅子舞やら、三河漫才やら、
烏帽子直垂れの姿で門前にやって来て、お祝の辞を述べて、
なにがしかのご祝儀(平たく言えばチップ)を貰って歩いていたのを覚えている。
今ではそんな習慣も無くなって、保存会の皆さんが伝統芸能として残している。

最初に出てきたのは、白い鼻緒の女の子たちが、
ハッピ姿も可愛い太鼓で始まる祭囃子は部隊の正面で、
舞が始まると、舞台の裾に入って演じる。
次いで巫女舞、ひょっとことおかめが舞う一人二役の両面舞、
大黒様が踊る大黒舞、最後にお馴染みの獅子舞。

(舞台正面でかわいい子供たちのお囃子)

(舞台の裾で演じる子供たち)

(巫女舞1)

(巫女舞2)

(集まった観客)

(集まった子供たちの顔)

(両面舞(ひょっとこ)

(両面舞(おかめ)

(大黒舞)

(獅子舞)

(みかんを食べようとする獅子)


獅子舞が「おめでとう」の垂れ幕を披露して正月の縁起の出し物は終わる。

(おめでとうの獅子舞)


出し物が終わった後、演壇から降りてきた獅子が見物客の中で、
無病息災を願って、子供たちの頭にかぶり付く仕草に、
知らない子供たちはきゃあきゃあ言いながら逃げ惑う。

それを見た大人たちの誰かが
「無病息災のおまじないだよ」と、
大声で叫んだら、子供たちはわれ先にと競って、
獅子に噛み付いて貰いたいと寄ってきた。

(無病息災のおまじない獅子の噛み付き)


伝統芸能の披露の最後に笛や太鼓、
舞、に興味のある子供や大人を募集していた。

(以下は50秒以内の動画です)

祭囃子
(巫女舞)


(ひょっとこ・おかめの両面舞)

(大黒舞)

(獅子舞)


高齢者(老人)は75歳から

2017年01月11日 05時37分17秒 | つれづれなるままに考えること
報道によると、
今まで高齢者は65歳以上としていたが、
日本老年学会と日本老年医学会は、
75歳以上にすべきだとする提言を発表した。

それで今までの65歳から74歳までは準高齢者と呼ぶ。
なんだか教授じゃなくて准教授に格下げされた感じがする。

「75歳~89歳は高齢者、
90歳以上を超高齢者とする。」
と言うのだ。

ボクが勤務していた頃の社則では、
定年55歳であった。年金受給は60歳からだ。
この五年間は、自分で仕事をして収入を得て暮らす。
さもなくば退職金で五年間を賄えと言う。

その内、規定は55歳定年であるが、
五十五歳の時点で再査定して充分仕事に耐えられる人は、
年金がもらえる60歳まで再雇用されることになった。

雇う方だって給料の高い人より、給料の安い若い人を採用した方が、
将来の役に立つ。
そこで再雇用の時点で役職を見直し平社員に戻し、
給料を新人並みにすることにした。
これでは有能な人は、定年で辞めて行ってしまうので、

1)再雇用の時点で役職も給料もすべて、今まで通りで済ます。
2)しかし降格された人は、元の部下にこき使われることになる。
  だから辞めたいが新たに職を探す自信が無い人は、やむなくその場に居残る。
3)有能な人は、再雇用して貰わなくとも、
  新しい職場を見つけ今まで以上の収入が得られるから、辞めて行く。

と三通り出来てうまく行っていた。


今回の高齢者を75歳にするとどうなるだろうか?
まず年金であるが、75歳給付にするだろう。
ただでさえ年金財源が減っているから、
これ幸いとばかり飛びついて、支給年齢を上げるに違いない。
75歳でなくとも70歳にはするだろう。

会社の定年は、ボクの頃と違って今は60歳、
再雇用で延長して65歳まで働けるようにしているが、
75歳まで延長して雇用できるだろうか。

75歳以上を高齢者とするのは良いが、
本当に高齢者なのだ。

元気な人は沢山見かけるが、
世に見かける人は元気であるが、
見かけない人は外に出られないのだ。
少なくも半分は再雇用に耐えられまい。

ボクの体験では、60歳前後で一回大きな病に見舞われる。
これを乗り切ると、後は五年周期で気を付けなければならない。
ボクは65歳で血液がんに罹り、7か月入院をした。
「三年間生存率30%」を宣告された。
これは「ほとんど生き残れない」と言う意味だ。

その後は1年1年が不安定で、先輩の訃報に混じって同期生の訃報が入る。
同期生の訃報が増えて後輩の訃報がまじるようになると、
身の回りを見渡すと先輩も同期の人も、数えるほどの人数になっている。

時間と医学の進歩により、寿命は延びていることは確かだ。
部下の結婚式で祝辞を述べるとき、

「今までは人生50年であったが、これからは80年になる。
この間の30年を如何に過ごすことが出来るか、
この30年を振り返り、
良い人生であったと言い合えるような夫婦であってほしい。」と、
言ってきたが、

自分の人生を振り返って、
このように言えるだろうか、はなはだ怪しい。






散歩道ー自然観察公園

2017年01月07日 06時08分15秒 | 日記

いつも散歩する自然観察公園の西の入り口で、
自転車に乗った二人の女性、一人はお母さんらしいが、
一人はまだ幼い女の子に出会った。

(自然観察公園西の出入り口)


公園だからこんな二人はよく見かけることだが、
(オヤッ!)と思ったのが、
その女の子が履いている白い鼻緒の草履であった。
正月だから草履はおかしくないが、
半ズボンに黒いタイツ風の靴下か、
その白い鼻緒に指が食い込んでいる。

今にも脱げそうな草履で歩く姿に、
公園に散歩に来るなら、
もっと運動しやすい履物にすれば良いのにと、
母親の気配りが無いのを残念に思った。

公園は右半分がスポーツの森公園になって居り、
金網に囲まれたサッカー練習所があり、
脇に鉄棒、子供の遊具など、
様々な運動が出来る機械が置いてある芝生広場があり、
一周すると200mはあると思われる。

(スポーツの森公園)

(公園のサッカー練習場)

(芝生広場)


左半分が自然観察公園になっている。
武蔵野の台地は昔はこのようであったろうと思わせる、
自然林が公園の中央にあって、進むと窪地になって池があり、
湧き出る水が流れ込んでいる。
「東京名湧水57選」の表示があるほどだ。

(武蔵野の台地を思わせる雑木林1)

(武蔵野の台地を思わせる雑木林2)

(湧き水の流れ)

(「東京名湧水57選」の表示杭)

(湧き水をまたぐ橋)

(流れ込む右側の池)

(流れ込む左側の池)

(池にいる白鷲)

通路の左右に池があり、
脇に田んぼがあって田植えや稲刈りを、
近くの小学校生が時期が来ると楽しそうにやって居る。
その田んぼの先に藁葺きの農家を移築してあり、
「ふるさと農家体験」が出来るよう展示している。

(田んぼの先にある藁葺き農家)

(「ふるさと農家体験」の標柱)


園内の途中には、バード・ウオッチングが出来る小屋や、
休憩できる東屋があって、
自然林にやって来る鳥のワン・ショットを狙うカメラマンたちに毎朝出会う。

(バードウオッチィングの小屋)

(休憩できる東屋)

(休憩所脇の枯れすすきの一群)


その公園に白い鼻緒の草履を履いた女の子が足を引きずりもしないで、
パタパタ音を立てながら「ふるさと農家」の方へ歩いて行った。

ボクはいつもの習慣でスポーツの森公園へ行って、
背筋を延ばす運動、足を延ばしたり鉄棒にぶら下がったり、
腰の筋肉を強化するため運動をおよそ10分間ほどしてから、
自然観察公園に行くのだが、
坂を下り、約100mほど歩くと、左右に池が見え先に広場がある。

広場の先にある、
公園の東の出入り口から一台の黒いワゴン車が入ってくるところだった。
車が入ってくると、祭りのハッピを着た女性達が寄って来て、
荷台から何やら取り出している。
ハッピ姿に似合う太鼓やバチに大きな風呂敷包みを運びだして、
藁ぶき屋根の古民家の方へ運んで行った。

(藁ぶきの古民家)


何をしているのかと不思議に思ったが、
藁葺き農家の入り口に来て分かった。

本日、11時と13時半に、
伝統芸能の獅子舞、大黒舞、巫女舞、両面舞などを演じることが解った。
正月だから縁起の良い出し物が並んでいる。

古民家で、獅子舞などのイベントがあるのだ。
(獅子舞の案内画)

つづく





旧朝香宮邸(室内のアール・デコ編)―東京都庭園美術館

2017年01月02日 05時31分46秒 | 東京の庭園
あけましておめでとうございます。


(朝陽の富士)

昨年からの続き旧朝香宮邸の見学を続けたいと思います。

前回紹介したように、朝香宮様は明治天皇の娘婿で、
フランス留学中に自動車事故で入院治療を余儀なくされ、
この時、妻の允子妃(のぶこひ)もフランスへ行き看病をする。
怪我の治療後、フランスで開催されたパリ万博、
通称「アール・デコ博覧会」に夫婦揃って影響を受けた。
帰国後に、アール・デコ様式を取り入れたお邸建設の計画で、
建てられたお邸が、今回の旧朝香宮邸です。

いよいよ旧朝香宮邸に入る。
玄関を入ると翼を持つ女性像が観光客を出迎えます。

(お出迎えの翼を持つ女性像)

(ガラスでできた女性像はガラス面に盛り上がっている)

右手に受付があり、ここで入場券を見せて中に入る。
右手奥にウエルカム・ルームがあり、ビデオで各部屋の案内をしている。
座席は10人分くらいあって、手前に模型図がある。

(ウエルカムルーム)

(模型図1F)

(模型図2F)

部屋を出て右に突き当りはお手洗い、手前左手に映像ルームがあって、
映像でアール・デコの説明をしている。
アール・デコの説明をしばらく聞き終えて、玄関の方に戻る。

(映像ルームで香水塔の説明)


玄関から入った所が大広間になって居り、
右手中央に二階への階段があり、左手には大客間がある。
天井の照明の適度な明かりが、
気持ちを落ち着かせてくれる。

(大広間の天井の照明)

(右手の階段)

(左手の大客間のシャンデリア)


大客間のシャンデリアは、植物の葉を歯車状に表現し、
その上に花をあしらった円筒状の燭台を乗せ、
葉の歯車は片側のみ艶消しになっていると言う。

(大広間入り口のアール・デコ文様)


また、客間出入り口の上部にある文様がアール・デコの現代装飾美術である。

(セーブル製の香水塔)

大広間の手前には説明では次室となっているが、
控えの間と言った方が理解できそう。
ここにはフランスの国立セーブル製陶所で製作された、
アンリ・ラパンのデザインによる香水塔がある。
朝香宮時代には、上部の照明部に香水を施し、
その熱で香りを漂わせたと言う。

香水塔のある控室のさらに手前には、小客室があり、
ここには少人数のお客様を招き入れたのであろう、
落ち着いた淡いグリーンを基調として描かれた樹木と水のある風景が、
壁一面にあり、さながら森の中にいる印象を与えてくれる。

(樹木の壁画で囲まれる小客室)


大客間から奥にある大食堂へ移ると窓から広い芝生の庭を見渡すことが出来る。

(大食堂)

(大食堂から見た庭の芝生)

(室内のマントルピースと壁画)


暖炉のラジエーターカバー、階段、室内灯など金物の装飾が施されているが、
アール・デコ調のデザインとなっている。

(暖炉のラジエーターカバー1)

(暖炉のラジエーターカバー2)

(暖炉のラジエーターカバー3)

(暖炉のラジエーターカバー4)

(第一階段の模様1)

(第一階段の模様2)

(第一階段の模様3)

(第一階段と上の明かり)

(第一階段上の明かりの模様)


アール・デコの装飾を見ながら第一階段を二階に上がる。
ここはご家庭の個人の部屋が並んでいる。
階段を上り切った正面、大客間の上にあるのがご夫婦の寝室。
左が殿下の寝室、居間と書斎、右手が妃殿下の寝室、居間と姫宮の居間。
両殿下の寝室の鏡の前の置物が殿下には騎馬像が妃殿下の寝室の鏡には婦人像がある。
そして両寝室の庭側にベランダがある。

(二階のベランダ)

(書斎)

(殿下の寝室の窓際)

(殿下の寝室の鏡とマントルピース)

(妃殿下の寝室から見たお庭)

(妃殿下寝室の鏡とマントルピース)


妃殿下の寝室の隣に姫宮の寝室と居間があり、
二階の見学を終えて脇にある、第二階段を降り、
旧朝香宮邸ー東京都庭園美術館の見学を終えた。
冬の夕暮れは早い、外はもう薄暗くなって居た。

(姫宮の寝室)

(第二階段)


この一年が良い年になりますように、
        心からお祈り申し上げます。

   本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。



Potora!  NTTグループ運営!