県立万葉文化館の庭園にある万葉歌碑も4つ目になる。ここへきて、万葉歌人としてはメジャーな歌人、柿本人麻呂の歌が取り上げられている。
歌碑には、「ふさたをり 多武の山霧 しげみかも 細川の瀬に なみの騒ける」とあり、柿本人麻呂が、舎人皇子に献上した歌であると伝えられる。ふさたおりは、多武峰にかかる枕詞である。歌の意味としては、多武峰の山霧が深いからでしょうか、細川の瀬に波が騒いでおりますということになるようだ。中には雨が降ってという言葉を足して雨の情景をえがいているのもある。
この歌を受けて、舎人皇子が詠んだ歌も伝わっている。
「ぬば玉の 夜霧ぞ立てる 衣手の 高屋の上に たなびくまでに」というものである。高屋については、多武峰に向かう途中にある高家という地名をさすというものと高殿を表す高屋というものと二つの解釈があるようである。万葉文化館の庭園から多武峰の方を眺めると山のふもとにあるのがたぶん高家の集落であろうと思う。
ちなみに、写真は、万葉文化館から多武峰の方を写したもの。周りの樹が大きすぎて、隙間からしか見えないな。
舎人皇子は、のちに舎人親王となる人物、天武天皇の皇子であり、天智天皇の孫にあたる。藤原不比等の死後、知太政官事となり、当時の太政官の首班格となる。親王と当麻山背との間に生まれたのが、淳仁天皇である。舎人親王は、死後、淳仁天皇より、崇道尽敬皇帝と追号されている。
この歌に歌われている細川は、石舞台古墳の近くを流れている山川である。この川は、多武峰から流れ出て、飛鳥の祝戸辺りで飛鳥川と合流する。
この辺りは、棚田が非常に美しい所でもある。ちなみに細川谷古墳群という群集墳もあるそうだ。一度、多武峰から石舞台古墳までのルートを歩いてみたいなあと思っているのだが、なかなか実現できないでいる。きっと山から下る途中の景色は素晴らしいものがあると想像しているのだが・・・。
何事も一足飛びに野望を果たしてはいけないので、これからの楽しみかな。多武峰も小学生の時に、父に連れて行ってもらって以来、長いこと行っていないなあ。
それから、この歌の歌碑は、多武峰、談山神社にもあるんだそうですよ。
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