丹切古墳群の探索から、一旦榛原駅に戻り、今度は駅の北側を探索する。駅の前はすっかり住宅地として開発され、駅の南側とは、様相が一変している。
まずは、南山古墳をめざし、榛原高萩台、あかね台と住宅地を突っ切っていく、北に向かってしばらく歩くと国道165号線があり、それを渡って、コンビニの横に細い道を登っていく。しばらく行くと少し大きな道に出る。この道を桜井警察署宇陀分署を目標に歩いていく。この辺りになると風景は変わり、農村になっていく。
警察署を過ぎると、四つ辻があり、ちょうど角の所に眼治し地蔵尊という石仏がある。ここを左に折れ、山の中に入っていくことになる。
南山古墳へは、この道を北に歩いてから、右手の山の中にある。
山道をあるいて、ログハウスがあり、その向こうに目標の南山古墳が見える。
山小屋の裏側に南山古墳がわずかに開口部をあけて佇んでいる。説明板が老朽化して、倒れてしまっている。古墳自体はわりと雑草等もなくきれいな状態であるのに、ちょっと残念な感じである。まあ、いろいろな事情があるのかもしれない。
南山古墳自体は、南北18m、東西16m、高さ1~4.3mの少しいびつな形をした、見る限り普通の円墳ではある。
わずかに開口している石室の隙間から中をうかがう。頭を突っ込んで写真を撮るだけで精一杯なのだが、覗いてびっくり!
見事な磚積石室が眼に飛び込んでくる。これはおどろき。桜井から宇陀にかけては磚積石室を持つ古墳が数多くみられるのだが、その中でも、レンガ状に積まれた石材の立派さは目を見張るものがある。それから、石に付着している白色のものは、漆喰とのこと。石材の上に塗布されていたようだ。
それから、石室の中に天井石とかも落ち込んでいるのだが、意外と土砂の流入は少ないようだ。
石室の大きさは、玄室長3.1m、奥壁部分での玄室幅2.2m、袖部での玄室幅1.9m、玄室高2.
3~2.0m、玄門幅1.3mである。報告書の平面図を見ると写真ではわからないが、両袖式であるようだ。
石室は、レンガ状の石材を15~17段積み上げており、上の方では、内傾させている。
写真を撮るのがどうしても右側だけに偏ってしまうため、何とか姿勢を変えたりして左側を写すもわずかに側壁を写すことが出来るのみであった。
なお、開口しているところが、玄室と羨道が接続している玄門の上あたりだと推測され、羨道は下に埋まっているのだと考えられそうだ。たぶん、一番下の石が羨道の天井石ではないだろうか。
古墳の築造時期は、7世紀の中葉から後半ということで、立派な終末期の古墳である。さて、被葬者はという所だが、皆目見当がつかない。ただ、磚積式石室という横穴式古墳でも特異な形を持っているので、かなり先進的な技術を持った氏族ではないのかなという気はする。
宇陀地方は、東国につながる交通の要衝でもあり、そういったヤマトとは違った文化や技術が入ってきやすい所なのであろう。
南山古墳のある山を下りて、今度は同じく磚積式石室を持つ奥の芝1号墳、2号墳をめざしていくことにしよう。
※南山古墳は私有地にあるので、探索される場合は麓にある所有者に了解を得たうえで行かれるのがよさそうです。
※付近で30㎝ぐらいの大きさの蛇が斜面を滑っていくのを見かけたので季節も夏等は辞めた方がよさそうです。
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