彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

表門橋

2006年05月07日 | 彦根城
彦根城の内堀には多い時で5本の橋が架けてあったと推測されます。
表門橋
大手門橋
東門橋
黒門橋
山崎門橋
この内、東門橋と山崎門橋については、現在、橋としての機能を果たしていません。
表門橋と大手門橋はちゃんと橋として架かっていますが、黒門橋はその部分だけお堀を埋めていますので、お城に架かる橋として見るならば表門橋と大手門橋をオススメします。

今、架かっているどの橋を渡ってもお城に入るための券売所がありますのでどこからお城に入るかは皆さんの好みにお任せしたいと思います。

今回はそんな中から表門橋について少し書いてみましょう。

表門橋は、文字通りお城の表に架かる橋で、今はこの橋を渡っても石垣しか積まれていませんが、昔はその石垣の上に表門櫓があり、橋を渡って枡形の空間を通り抜けた次に表門櫓と表門口を抜けたのでした。
その先には藩庁と藩主の邸宅を兼ね備えた表御殿が建っていたのです。
この事から表門口など“表”という認識がされていたのではないでしょうか?
ちなみに今架かっている表門橋は平成14年から16年までの間をかけて老朽化による架け替え作業が行われた後の比較的新しい物です。
老朽化していた橋は幕末に架けられた物でしたので、再現は結構難しかったそうですよ。

再現といえば、表御殿は現在「彦根城博物館」として復元されていますが、その話はまた後日。

さて、表門橋を渡る手前、内堀の外側に“琵琶湖八景 月明 彦根の古城”と掘られた大きな石碑が目には入ります。
近江八景という言葉はよく耳にしますが、琵琶湖八景とは別物なのでしょうか?

実は別物なんです。
近江八景は室町時代中期の明応9(1500)年8月13日に近江守護・六角高頼が近江に居た関白・近衛政家を招き、政家が中国の瀟湘八景に重ね合わせて近江八景の和歌八首を詠んだことが始まりです。
この為、その全てが湖南地域にかたまっています。
これに対し、琵琶湖八景は昭和25(1950)年に琵琶湖が国定公園に指定される事を機に前年の4月に琵琶湖全体から8ヶ所選らばれたモノなんですよ。
コメント
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