金福寺の本山である圓光寺は、歩いてすぐの場所にあります。
もともとは、関ケ原の戦いの翌年に徳川家康が足利学校の閑室元佶を招いて伏見城下に建立したお寺が圓光寺です。
ここでは日本でも早い段階の活版印刷が行われていて、それらが関係する資料も展示されています。
その後、相国寺内を経て現在の地に移りました。
明治時代になり、臨済宗南禅寺派唯一の尼僧道場になっていた時期もあるそうです。
境内は広く散策が楽しめます。
竹が美しく
紅葉になっても綺麗だろうなぁと感じました。
京都市内が見渡せる場所に、開基である家康を祀る東照宮と隣に家康の歯を埋めた(伏見から運んだのか、この地で埋めるまでは別に保管する形があったのか調べられていません)と言われている墓があります。
また、金福寺の時にも書きました村山たか女の墓もここにあります。
そして、もう一人サイド・オマールの墓の案内もありました。
オマールは、マレーシアからの留学生でしたが、18歳の時に広島で被爆、自身も怪我を負いながらも救護活動を行った人物です。
戦後に治療のために東京へ向かう途中、京都で入院してそのまま亡くなられました。
遺体は南禅寺に埋葬されましたが、のちに目印がわからなくなり、事情を知った園部英文という人物が、このままでは日本の恥と思い、この地にイスラム教の墓石を作り、武者小路実篤が碑文を書いたのです。
この様な様々な歴史が残る場所でした。
御朱印