4月1日から開館となる大阪城 豊臣石垣館の事前内覧に行ってきました
これは、大阪城の「太閤なにわの夢募金」で一万円以上の募金を行った人に案内が来ていたもので、恥ずかしながら管理人も2012年くらいに募金を行い天守前の広場にずっと名前が掲載されていました
…と言う訳で、年に何度か報告の郵便も届いていて公開を楽しみにしていました
豊臣石垣というのは、大坂城を築いた豊臣秀吉の時代に積まれた石垣のことです。
大坂城は大坂夏の陣で焼け落ちますが、その後は徳川幕府により再建されています。
この時、豊臣政権期の石垣を改修して建物が建てられたと考えられていたのですが、昭和になってから現在の城址地下に古い石垣が発見されました。
そして、昭和59年(1984)に発掘された石垣から地中の古い石垣が豊臣政権期の物と判明。
これにより、徳川幕府は豊臣政権期の石垣を全て埋めた上に改めて石垣を積み直して現在の城郭を築いたことがわかったのです。
豊臣色を消そうとした徳川幕府の執念ですが、だからこそ貴重な豊臣期の石垣が残ったとも言えます。
ちなみに、現在見る事ができる徳川期の石垣は他の追従を許さないほどの高石垣です。

これは豊臣期の石垣が、「下ノ段」「中ノ段」「詰ノ丸」と三段構えだった場所を一気に埋めたからでした(写真はパンフレットより)

そんな詰ノ丸南東部の石垣を見ることができます。
天守脇の金蔵裏へ

施設に入り、大坂夏の陣の様子を見てから奥へ


地下に入ると豊臣期らしい野面積み

そこに残る大坂夏の陣で焼けた痕跡


そして、高石垣には欠かせない算木積みの初期の形式

など、石垣のいろいろが学べばました
映像もあり、学習施設としての活用が期待できますね
これは、大阪城の「太閤なにわの夢募金」で一万円以上の募金を行った人に案内が来ていたもので、恥ずかしながら管理人も2012年くらいに募金を行い天守前の広場にずっと名前が掲載されていました
…と言う訳で、年に何度か報告の郵便も届いていて公開を楽しみにしていました
豊臣石垣というのは、大坂城を築いた豊臣秀吉の時代に積まれた石垣のことです。
大坂城は大坂夏の陣で焼け落ちますが、その後は徳川幕府により再建されています。
この時、豊臣政権期の石垣を改修して建物が建てられたと考えられていたのですが、昭和になってから現在の城址地下に古い石垣が発見されました。
そして、昭和59年(1984)に発掘された石垣から地中の古い石垣が豊臣政権期の物と判明。
これにより、徳川幕府は豊臣政権期の石垣を全て埋めた上に改めて石垣を積み直して現在の城郭を築いたことがわかったのです。
豊臣色を消そうとした徳川幕府の執念ですが、だからこそ貴重な豊臣期の石垣が残ったとも言えます。
ちなみに、現在見る事ができる徳川期の石垣は他の追従を許さないほどの高石垣です。

これは豊臣期の石垣が、「下ノ段」「中ノ段」「詰ノ丸」と三段構えだった場所を一気に埋めたからでした(写真はパンフレットより)

そんな詰ノ丸南東部の石垣を見ることができます。
天守脇の金蔵裏へ

施設に入り、大坂夏の陣の様子を見てから奥へ


地下に入ると豊臣期らしい野面積み

そこに残る大坂夏の陣で焼けた痕跡


そして、高石垣には欠かせない算木積みの初期の形式

など、石垣のいろいろが学べばました
映像もあり、学習施設としての活用が期待できますね