WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

フリーのライブ!

2006年09月02日 | 今日の一枚(E-F)

●今日の一枚 38●

Free     Live !

Cimg1562  今日の2枚目。正統なブリティッシュ・ロックをもう一枚。フリー・ライブ !。1971年2月~3月にかけて行われたツアーの記録だ。高校生の頃、繰り返し聴いた(そしてギターをコピーした)レコードだが、その演奏のエネルギーと聴衆の熱気に、今聴いても興奮する一枚だ。

 かつては、フリーをバット・カンパニーの前身と紹介したものだが、今やバッド・カンパニーを知るファンも少なくなってしまった。フリーの特徴は、重く落ち込むような独特のサウンドにある。これは、天才ベーシスト、アンディー・フレイザーによるところが大きい。フレイザーは、弱冠15歳でジョン・メイオールのグループに参加して、あのミック・テイラー(のちローリング・ストーンズのギタリスト)と共にプレイしたという男だ。編成上もけっして厚いサウンドとはいえないフリーの演奏を、重くへヴィーなものにしているのは、フレイザーのベースだろう。

 私のフェイバリット・ロックギタリストのうちの1人であるポール・コゾフ。泣きのギターといわれる彼のヴィブラートは今聴いても驚異的だ。エリック・クラプトンが、あれはトレモロ・アームを使っているに違いないと思っていたところ、ライブで指でやっているのを見て驚嘆したという話は有名だ。side-2の② Mr. Big における演奏は圧巻だ。これでもかという程執拗にたたみかける泣き叫ぶようなヴィブラート、どこまでも伸びやかなチョーキング、そしてソロからアルペジオへ変化していくわくわくするような流れ。私がフリーが好きなのは、ポール・コゾフのギターがあるからだといっても過言ではない。

 そして、ポール・ロジャースのボーカル。ロック・ボーカリストとしては、一級品であろう。時にシャウトし、しっとりと歌うこともできる。歌詞をしっかりと踏まえることのできる表現力は、最近の無意味に叫んでしまう歌い手とは一線を画する。

 渋谷陽一ロック ベスト・アルバム・セレクション』(新潮文庫)は、フリーについて、「フリーのサウンドの最大の特徴はやはり重く落ち込み、そして決してネバつかないあの独特のリズムといえるだろう。ローリングストーンズが黒人音楽やスワンプサウンドを真似て重いネバつく音をつくりあげたとするなら、フリーはブルースから離反していく過程で重いリズムを獲得したといっていいだろう。フリーはあくまでも白人独特の疲労感と痛みを歌うグループなのである。」と評価している。基本的には、私も異存はない。


ウィッシュボーン・アッシュの百眼の巨人アーガス

2006年09月02日 | 今日の一枚(W-X)

●今日の一枚 37●

Wishbone Ash     Argas

Cimg1660_1 今週は忙しかった。音楽に向き合う余裕もあまりなかった。今、土曜日の朝6:00、やっとスピーカーの前に座っている。しばらくぶりに、ロックが聴きたくなった。古き良き時代のちゃんとしたロックが……。

 ウィッシュボーン・アッシュの1972年作品  「百眼の巨人アーガス」。いい……。正統的ブリティッシュ・ロックとはこういう作品をいうのだ。過剰なものをすべて削ぎ落としたかのような、ハードだが不思議に静けさを感じるサウンド。ゆっくりときちんと歌いこむボーカル。そして、ブルースフィーリング溢れる哀愁の旋律。

 side-1②Sometime World、side-2③Warrior などいい曲がそろっているが、私はなんといってもside-2④のThrow Down The Sword (武器よさらば)が好きだ。このバンドの「売り」であるツイン・リードギターが最良のかたちでフューチャーされている曲だ。テッド・ターナーとアンディー・パウエルのギターは、どちらが主/副ということなく、互いに別々のソロを弾くが、それが微妙に絡み合いひとつの「演奏」となってゆくさまは、実に聴き応えがある。しかも、その旋律はブルース・フィーリング溢れる美しいものだ。後の、イーグルスの構成的でドラマティックなツイン・リードとは、まったく違った演奏の形を示している。

 渋谷陽一ロック  ベスト・アルバム・セレクション』(新潮文庫)によれば、イギリスの手厳しい批評家ジョン・ピールでさえ、このウィッシュボーン・アッシュというバンドの演奏の、オリジナルの豊富さ、メロディーの美しさ、そのエネルギッシュさに感服しているという。

 もう、30年以上前のバンドだが、現在でもそのサウンドの素晴らしさは色褪せることはない。若い世代がこのようなすぐれたバンドの演奏に触れる機会が少ないのは残念なことだ、そう思う。