太田裕美の3rdアルバム『心が風邪をひいた日』……。ジャケット写真とアルバムの内容が違いすぎる。明るくかわいいジャケット写真にくらべて、内容は70年代ノスタルジーそのものである。大ヒット曲「木綿のハンカチーフ」を含むこのアルバムは、概して内向的な曲が多く、どちらかといえば「暗い」内容である。
「青春のしおり」は、このアルバムの中でも支持者の多い曲らしい(もちろん私も気に入っている)。実際、歌詞の中に「若い季節の変わり目だから 誰も心の風邪をひくのね」とあり、アルバムタイトルの『心が風邪をひいた日』はここから名づけられたと推定される。
「赤毛のアン」や「CSN&Y」や「ウッドストック」など具体的なことばがかえって抽象度を高める効果をだしており、聴くものは時代をイメージし、自己を投影しやすい構造になっている。
歌詞は、「若い季節の変わり目」、すなわち無邪気な時代を過ぎ、大人になっていく過程の喪失感や心の空虚さをうたったものだが、これも1970年代という焦点の定まらない時代を抜きにしては考えられない。喪失感や空虚感は1970年代の時代の雰囲気といっていい。
高度成長や若者の反乱も終わり、はっきりとした目標を見出せず、熱くなれるものもなくなってしまった若者たちには、喪失感や空虚感だけが残ったのである。共通の目標やともに熱くなれるものが無くなったということは、それだけ個人の自由度が増したということでもあるが、社会や他者とのつながりを喪失していくということでもあった。若者たちはしだいに自閉するようになり、他者の心をつかむことができないという苦悩に陥ることになる。他者がつかめないということは、自己の輪郭もつかめないということなので、当然人々はアイデンティティの危機におちいるわけだ。例えば、初期の村上春樹はそれをテーマにしていたし、以後もその克服が村上文学の底辺には流れていると思う。若い頃に読んだエッセイだが、三浦雅士『村上春樹とこの時代の倫理』は村上春樹の作品の中に、1970年代後半の時代の気分を読み解いた好論である。
しかし、そんなわかったようなことを口にしながらも、この「青春のしおり」を聴いた瞬間、胸がしめつけられ、心がかぜをひいたようになってしまう。空虚でむなしかったが、いとおしきは、1970年代である。