WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

青春のしおり……青春の太田裕美⑨

2006年09月26日 | 青春の太田裕美

1_3   太田裕美の3rdアルバム『心が風邪をひいた日』……。ジャケット写真とアルバムの内容が違いすぎる。明るくかわいいジャケット写真にくらべて、内容は70年代ノスタルジーそのものである。大ヒット曲「木綿のハンカチーフ」を含むこのアルバムは、概して内向的な曲が多く、どちらかといえば「暗い」内容である。 

 「青春のしおり」は、このアルバムの中でも支持者の多い曲らしい(もちろん私も気に入っている)。実際、歌詞の中に「若い季節の変わり目だから 誰も心の風邪をひくのね」とあり、アルバムタイトルの『心が風邪をひいた日』はここから名づけられたと推定される。 

「赤毛のアン」や「CSN&Y」や「ウッドストック」など具体的なことばがかえって抽象度を高める効果をだしており、聴くものは時代をイメージし、自己を投影しやすい構造になっている。 

 歌詞は、「若い季節の変わり目」、すなわち無邪気な時代を過ぎ、大人になっていく過程の喪失感や心の空虚さをうたったものだが、これも1970年代という焦点の定まらない時代を抜きにしては考えられない。喪失感や空虚感は1970年代の時代の雰囲気といっていい。 

 高度成長や若者の反乱も終わり、はっきりとした目標を見出せず、熱くなれるものもなくなってしまった若者たちには、喪失感や空虚感だけが残ったのである。共通の目標やともに熱くなれるものが無くなったということは、それだけ個人の自由度が増したということでもあるが、社会や他者とのつながりを喪失していくということでもあった。若者たちはしだいに自閉するようになり、他者の心をつかむことができないという苦悩に陥ることになる。他者がつかめないということは、自己の輪郭もつかめないということなので、当然人々はアイデンティティの危機におちいるわけだ。例えば、初期の村上春樹はそれをテーマにしていたし、以後もその克服が村上文学の底辺には流れていると思う。若い頃に読んだエッセイだが、三浦雅士『村上春樹とこの時代の倫理』は村上春樹の作品の中に、1970年代後半の時代の気分を読み解いた好論である。  

 しかし、そんなわかったようなことを口にしながらも、この「青春のしおり」を聴いた瞬間、胸がしめつけられ、心がかぜをひいたようになってしまう。空虚でむなしかったが、いとおしきは、1970年代である。 

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阿部薫 Solo Live At Gaya vol.9

2006年09月26日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚 56●

Kaoru Abe      

Solo Live At Gaya vol.9

Scan10007_15  阿部薫には昔からなんとなく興味があった。音楽的というよりは、文学的興味といったほうがいい。ものの本や雑誌などで語られるその天才的といわれるアルト・サックスと頽廃的で破滅的な人生に興味があったのだ。10年程前、中古CD店でこのCDを見つけ購入したが、トレイにのせることなく今日まで放置してしまった。

 今日、阿部薫を初めて聴いた。すんなり身体にはいってきた。こういう音楽を聴きたかったのだと思った。フリージャズの演奏なのに、どこかに叙情的なものが感じられる。それも日本的な叙情性だ。この作品は初台のライブハウス「騒(ガヤ)」でのライブの実況録音盤であり、10枚セットのうちの vol.9 のようだ。1978.7.7 の録音とあるが、阿部薫がブロバリン98錠を飲んで死んだのが1978年の9月なので、死の2ヶ月前の演奏ということになる。このCDでは、Lover Come Back To Me 一曲のみが38分24秒にわたって演奏される。曲の原型はほとんどぶち壊されているのに、曲の芯にある叙情性だけが漂っている。不思議な演奏だ。

 阿部薫については、妻の鈴木いずみとの関係も含めて興味が尽きない。この2人については『エンドレス・ワルツ』という映画にもなっているようだが、もちろんまだ見ていない。webで阿部についてのいくつかの知見を得たが、興味は増すばかりである。恐らくは、CDやレコードをもう少し集めることになりそうだ。

 webページで阿部薫のライブ映像を発見したので紹介しておく。   http://tatsu001.blog50.fc2.com/blog-date-20060729.html