世界一過酷サハラマラソン、73歳主婦連続完走(読売新聞) - goo ニュース
何とも凄いご婦人が居るものです。
今月上旬灼熱のサハラ砂漠で行われた「サハラマラソン」で新座市の主婦飯田徳子さん(73)が2年連続で日本人歴代最高齢で完走をしたそうです。
偉い! 凄い! 脱帽! 敬礼!
マラソンと呼んでもこのサハラマラソンは7日間で250キロの悪路を走るそうで聞いただけで大変過酷なレースと見当がつきます。
日本の高齢者の鏡にしたいですね。
爺なんか昨年今頃道路を歩いていて窪みに足を取られ左ひざを痛めました。それを庇って歩いていたら今では右ひざと右腰に痛みが来て平らな道路をヨレヨレしながら歩いています。
さて飯田さん、来年のサハラマラソン参加を事務局に伝えてあるそうです。
ひょっとすると2年後には世界最高齢タイ記録が生まれるかもしれません。
頑張って欲しいものです。
読売新聞:
世界一過酷とされる「サハラマラソン」に挑んだ埼玉県新座市の主婦飯田徳子さん(73)が、2年連続で日本人歴代最高齢の完走を成し遂げた。
40度前後の 灼熱 ( しゃくねつ ) のサハラ砂漠を7日間で250キロ駆け抜け、自身が昨年塗り替えた記録を更新。帰国後も、フランス人が持つ女性完走者の世界最高齢記録「75歳」に向け、走り出した。
北アフリカ・モロッコ南部のサハラ砂漠を舞台に、寝袋や食料などを個人で用意し、キャンプをしながら走るレース。飯田さんは2年前に初出場したが、途中で棄権し、昨年初めて完走した。25回目の今年は今月4~10日に開催され、世界各国から過去最高の1013人が出場。6ステージ7日間で競い、距離も過去最長の250キロだった。
岩場や砂丘など、コースに平らな道はほとんどない。両足のまめがつぶれ、2日目から激痛が走った。中継点で治療を受けようとしたが、「順番待ちで長引きそう」と、ガーゼと 絆創膏 ( ばんそうこう ) をもらって自力で手当てし、そのまま力走。結果は70時間5分38秒で、完走した923人中894位。「究極のサバイバルレース。気持ちよく走れた。年は関係なかった」
マラソンを始めたのは、小学校教諭だった49歳。練習を積み、100キロや山岳マラソンなど国内の厳しいレースを次々と走破。出場大会は400を超え、フルマラソンだけでも100回近く完走してきた。
大舞台を終えても走る意欲は満々。5月には30キロマラソンなどに出場する。「サハラに挑戦する気持ちをいつまで持ち続けられるか、自分との戦い」と飯田さん。サハラマラソン事務局には、次回の出場の意思をすでに伝えてあるという。(引用終わり)
何とも凄いご婦人が居るものです。
今月上旬灼熱のサハラ砂漠で行われた「サハラマラソン」で新座市の主婦飯田徳子さん(73)が2年連続で日本人歴代最高齢で完走をしたそうです。
偉い! 凄い! 脱帽! 敬礼!
マラソンと呼んでもこのサハラマラソンは7日間で250キロの悪路を走るそうで聞いただけで大変過酷なレースと見当がつきます。
日本の高齢者の鏡にしたいですね。
爺なんか昨年今頃道路を歩いていて窪みに足を取られ左ひざを痛めました。それを庇って歩いていたら今では右ひざと右腰に痛みが来て平らな道路をヨレヨレしながら歩いています。
さて飯田さん、来年のサハラマラソン参加を事務局に伝えてあるそうです。
ひょっとすると2年後には世界最高齢タイ記録が生まれるかもしれません。
頑張って欲しいものです。
読売新聞:
世界一過酷とされる「サハラマラソン」に挑んだ埼玉県新座市の主婦飯田徳子さん(73)が、2年連続で日本人歴代最高齢の完走を成し遂げた。
40度前後の 灼熱 ( しゃくねつ ) のサハラ砂漠を7日間で250キロ駆け抜け、自身が昨年塗り替えた記録を更新。帰国後も、フランス人が持つ女性完走者の世界最高齢記録「75歳」に向け、走り出した。
北アフリカ・モロッコ南部のサハラ砂漠を舞台に、寝袋や食料などを個人で用意し、キャンプをしながら走るレース。飯田さんは2年前に初出場したが、途中で棄権し、昨年初めて完走した。25回目の今年は今月4~10日に開催され、世界各国から過去最高の1013人が出場。6ステージ7日間で競い、距離も過去最長の250キロだった。
岩場や砂丘など、コースに平らな道はほとんどない。両足のまめがつぶれ、2日目から激痛が走った。中継点で治療を受けようとしたが、「順番待ちで長引きそう」と、ガーゼと 絆創膏 ( ばんそうこう ) をもらって自力で手当てし、そのまま力走。結果は70時間5分38秒で、完走した923人中894位。「究極のサバイバルレース。気持ちよく走れた。年は関係なかった」
マラソンを始めたのは、小学校教諭だった49歳。練習を積み、100キロや山岳マラソンなど国内の厳しいレースを次々と走破。出場大会は400を超え、フルマラソンだけでも100回近く完走してきた。
大舞台を終えても走る意欲は満々。5月には30キロマラソンなどに出場する。「サハラに挑戦する気持ちをいつまで持ち続けられるか、自分との戦い」と飯田さん。サハラマラソン事務局には、次回の出場の意思をすでに伝えてあるという。(引用終わり)