以下の参考記事の様に数日前から四国急行フェリーが宇高航路から12月中旬に撤退との報道が有りました。
そして昨日11日の報道では、同社が12月16日から航路事業の休止届を運輸局に提出し、受理されたとありますから「撤退決定ですね」
浜爺も1970年代の初め産業戦士として高松で働いていました。
春先霧の季節になると「濃霧の為、港近くになっても接岸できず、霧笛警報を鳴らし海上で霧の晴れるのを待つ」なんて事が何度かありました。
極めつけは会社の同僚の結婚式が東京で午後3時からあり「霧に捕まってはいけないので早朝の便に乗りましたが宇野港を前にして3時間も仮泊し、ついに結婚式場に着いた時は既にお開き!」なんてひどい目に合った記憶があります。
当時は複数の会社が航路の運航に当たり、日中なら時刻表を気にしなくてもどれかに乗れた気がします。
さて87年頃の最盛期には3社で1日あたり150往復、乗客400万人でしたが88年の瀬戸大橋開通以降じり貧となり2018年のそれは四国急行フェリーのみで5往復、乗客14万人となり、平均値をとれば1日1隻1航海あたり39人程度にしかなりませんからね!どうにも合理化の仕様が無いようです。
このフェリーは報道に良く使われていました。これに39人では何とも! 汗 >
昨日11日の同社の記者会見で社長は「累積で数億円あり今期だけでも1億円の赤字」だそうです。
橋が出来ると「渡し船と船頭さんは稼ぎが無くなるのは便利化と引き換えに明治以降起きていた事」ですが航路が廃止になり「橋を通れない(バイクとか自転車の)方は困りますよね!
人口減が原因では「長崎ー五島列島」「鹿児島ー奄美列島・沖縄」航路なども深刻な状態だろうと思います。
私企業は当然、県の財政でも負担できなければ再び「国鉄ならぬ国船事業」を考えないといけないのかも知れません。
利用者と運営会社の事を思うと悩ましいですね!
写真:四国急行フェリー
山陽新聞:
四国急行フェリー(高松市)が唯一運航している宇高航路(玉野市・宇野港―高松港)が、12月中旬にも廃止される見通しとなったことが8日、関係者への取材で分かった。競合する瀬戸大橋の料金引き下げなどで利用者の減少に歯止めがかからず、収支が悪化したのが要因とみられる。国鉄連絡船を起源とする宇高航路の109年の歴史に幕が下りる。
関係者によると、同社は今夏以降、岡山、香川県、玉野、高松市の地元2県2市との担当者会議などで、採算悪化を理由に宇高航路から撤退する可能性を示唆していた。12月16日からの運休を軸に検討しており、週明けにも国土交通省四国運輸局に届け出る見込み。
宇高航路は1910(明治43)年、国鉄連絡船就航に伴って開設された。60年代にかけて民間3社のフェリーが相次いで就航。瀬戸大橋開通前の87年度は3社で1日計約150往復し、約400万人を運んだ。
連絡船は瀬戸大橋開通に伴い廃止。通行料金の割引などでフェリーの利用者も落ち込み、2社が2012年までに撤退した。四国急行フェリーは14年の瀬戸大橋の料金水準引き下げなどもあって利用者離れが止まらず、現在は1日5往復、年間利用者は約14万人(18年度)となっている。
地元2県2市は宇高航路の維持に向けた支援を打ち出し、四国急行フェリーには船舶の修繕名目で15、16年度に計3千万円、17年度以降は計1500万円を助成している。国にも支援制度の創設などを要望していた。
同社は「現時点で公表できることはない」としている。
(引用終わり)