一昨日6時過ぎ結構な風と雨の中をフランチェスコ教皇が羽田に到着されました。傘も差さずタラップを慎重に握って降りてこられました。
どうやら膝か腰が痛む様な歩みぶりでした。
一夜明け昨日24日の午前は長崎の爆心地公園で「平和のための集会」で献花と黙とうを捧げた後、(献花され黙とうを捧げる教皇 ネットより)
スピーチを行いました。
「この(爆心地と言う)場所は人間がどれだけ酷い苦痛を悲しみをもたらすかを認識させる」と述べ その後も核兵器と大量破壊兵器の非人道性を強く非難しました。
この会場の正面向かって右側には「焼き場に立つ少年」の写真を大きくしたパネルが設置されていました。
その元画像がこれです。 ネットより
この写真は被ばく直後の長崎に入った米軍カメラマンの撮ったものカメラマンの話として10歳くらいの少年で死んだ弟を負ぶい誘うの順番を待っているのだそうです。
弟が火葬されるときには、歯を食いしばり唇に血がにじんだとの話が有ります。
浜爺はこの兄さんと弟の間くらいの年齢で戦争直後の記憶が多少ありますから他人事とはとても思えません。
大分前(10年以上?)に見た覚えが有ります。
どんな立場であれ核兵器もっと広く言えば戦争は良くありません!!
カソリックの信徒さんは又別の思いが有るのかも知れません。
まあみんなで願えばその分だけ「核兵器や大量破壊兵器を使ってやろう」と思う悪い奴が減る理屈です。
大東亜戦争で銃後に居たのに戦果に巻き込まれた大勢の犠牲者に哀悼の意を表します。 合掌
写真:長崎で「焼き場に立つ少年」の写真を横に演説する教皇 AFPBB
NHK ニュース:
ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇は、長崎市の爆心地公園でスピーチを行ったあと、原爆が落とされたあとの長崎で「焼き場に立つ少年」の写真を撮影した、アメリカ軍の従軍カメラマン、ジョー・オダネル氏の息子と会話を交わしました。
【焼き場に立つ少年とは】「焼き場に立つ少年」は、アメリカ軍の従軍カメラマンだった、ジョー・オダネル氏が、原爆投下後の長崎で撮影したとしている写真です。
この写真には、目を閉じた幼い子を背負いながら、唇をかみしめて直立不動で立ち、まっすぐ前を見つめる10歳ぐらいの少年の姿が写されています。
オダネル氏は、すでに亡くなった弟を背負った少年を写したものだとし、このあと少年が見つめる中で弟は屋外で火葬されたと伝えています。
オダネル氏が長崎や広島など日本各地を回り、私用のカメラで撮影したフィルムは、アメリカに帰国したあとも悲惨な記憶とともにトランクの中にしまわれていました。
しかし、オダネル氏は過去と向き合うことを決意し、帰国から40年余りが経過した1989年にトランクを開き、翌1990年には地元・テネシー州で原爆の悲惨さを訴える写真展を開催。
アメリカ国内では反発を招いたものの、その後、日本各地でも写真展が開催され、平成19年、2007年には長崎市にある長崎県美術館で「焼き場に立つ少年」が特別公開されました。
長崎市に寄贈された「焼き場に立つ少年」は、いまも長崎市の原爆資料館に展示され、戦争の悲惨さを訴え続けています。そして、おととし、平成29年の年末、フランシスコ教皇がこの写真に、みずからの署名と「戦争がもたらすもの」というメッセージを添えて、教会関係者に配布するよう指示したことから再び注目を集めました。
カードの裏には、教皇のメッセージとともに「この少年は血がにじむほど唇をかみしめて、やり場のない悲しみをあらわしています」という説明も添えられました。
一方、オダネル氏みずからも来日し、長崎市で少年の行方を探したほか、長崎平和推進協会の写真資料調査部会なども調査を続けていますが、この少年は誰なのか、また撮影された場所はどこなのか、特定には至っていません。
【撮影者の息子「誇りに思います」】「焼き場に立つ少年」の写真を撮影した、ジョー・オダネル氏の息子のタイグ・オダネル氏(50)は「フランシスコ教皇に父親が使っていたメダルを見せると、スペイン語で『ありがとう。あなたと父親に祝福を』とおっしゃった。父親が撮影した『焼き場に立つ少年』の写真がきょう、爆心地に掲げられていたことを誇りに思います。世界中の人がこの写真を見て、『長崎の悲惨な経験を繰り返してはならない』と思いを寄せた瞬間になったのではないかと思う」と話していました。
この写真には、目を閉じた幼い子を背負いながら、唇をかみしめて直立不動で立ち、まっすぐ前を見つめる10歳ぐらいの少年の姿が写されています。
オダネル氏は、すでに亡くなった弟を背負った少年を写したものだとし、このあと少年が見つめる中で弟は屋外で火葬されたと伝えています。
オダネル氏が長崎や広島など日本各地を回り、私用のカメラで撮影したフィルムは、アメリカに帰国したあとも悲惨な記憶とともにトランクの中にしまわれていました。
しかし、オダネル氏は過去と向き合うことを決意し、帰国から40年余りが経過した1989年にトランクを開き、翌1990年には地元・テネシー州で原爆の悲惨さを訴える写真展を開催。
アメリカ国内では反発を招いたものの、その後、日本各地でも写真展が開催され、平成19年、2007年には長崎市にある長崎県美術館で「焼き場に立つ少年」が特別公開されました。
長崎市に寄贈された「焼き場に立つ少年」は、いまも長崎市の原爆資料館に展示され、戦争の悲惨さを訴え続けています。そして、おととし、平成29年の年末、フランシスコ教皇がこの写真に、みずからの署名と「戦争がもたらすもの」というメッセージを添えて、教会関係者に配布するよう指示したことから再び注目を集めました。
カードの裏には、教皇のメッセージとともに「この少年は血がにじむほど唇をかみしめて、やり場のない悲しみをあらわしています」という説明も添えられました。
一方、オダネル氏みずからも来日し、長崎市で少年の行方を探したほか、長崎平和推進協会の写真資料調査部会なども調査を続けていますが、この少年は誰なのか、また撮影された場所はどこなのか、特定には至っていません。
【撮影者の息子「誇りに思います」】「焼き場に立つ少年」の写真を撮影した、ジョー・オダネル氏の息子のタイグ・オダネル氏(50)は「フランシスコ教皇に父親が使っていたメダルを見せると、スペイン語で『ありがとう。あなたと父親に祝福を』とおっしゃった。父親が撮影した『焼き場に立つ少年』の写真がきょう、爆心地に掲げられていたことを誇りに思います。世界中の人がこの写真を見て、『長崎の悲惨な経験を繰り返してはならない』と思いを寄せた瞬間になったのではないかと思う」と話していました。