20日日本高野連は新型コロナウイルスに寄り第102回全国高校野球選手権大会の中止を決定しました。
インターネットを通じた記者会見では高野連会長八田氏は当然ですが、朝日新聞社長にして大会会長の渡辺雅隆氏の姿並びに挨拶が有りました。
新聞社と高野連の異形のコラボは春の大会中止の際、ここをクリック⇒毎日新聞と高野連で見ましたから、デジャビュでしたよ!
当然の事ながら、地方の強豪や古豪が監督を通じて「中止が伝えられるや、悔し涙」のシーンが紹介されました。
中には「1年生の時から親元を離れー」と残念がる監督さん! 思いはその通りだとですが、“野球留学なんて言葉が何の不自然も無く”浮かぶセリフが出るんだなーと冷めた思いで見ていました。
熱血の高校野球とセミプロ化した一部学校と選手。
手を付ける方法は取り敢えず“中止でした”!
新聞社も高野連もコロナ禍以降の新たな取り組みを考えて下さい!
写真:高野連の会見のテレビ中継を見守る常磐大高の選手たち=水戸市で
東京新聞:
夏の甲子園の道が閉ざされ、球児の夢が消えた。日本高野連は二十日、新型コロナウイルスにより第百二回全国高校野球選手権大会の中止を決めた。大会中止は戦後初。甲子園を目指してきた球児は「覚悟はしていたが…」と悔しさをにじませ、監督は「選手たちの心情が心配」と苦しい胸の内を吐露した。県高野連は、代替として県内で独自の大会を開くことを検討する考えを明らかにした。(宮本隆康、松村真一郎、水谷エリナ)
昨夏の県大会で準優勝した常磐大高(水戸市)の選手らは市内にある寮の食堂で、午後六時から開かれた高野連の会見を見守った。
「覚悟はしていたが悔しい」。所宜和主将(三年)は中止の発表にそう声を震わせた。この日は分散登校で、中止の情報は下校時にスマートフォンで知ったといい、「胸が締め付けられるような感覚だった」。
小学生の頃からのあこがれの舞台。昨夏の県大会決勝で敗れ、あと一歩、甲子園に届かなかった先輩たちと、自分たちが甲子園の土を踏むことを誓い合った。夢を実現するために、親も背中を押してくれた。「グラウンドは恩返しの場所。それもなくなってしまった」と唇をかんだ。
夏の甲子園に十六回出場し全国制覇の経験もある常総学院(土浦市)の佐々木力監督(54)は「指導者としては大会をやってほしいが、教員としては生徒たちの体が心配。ただ、大きな夢がなくなってしまい、せめて県大会はやってあげてほしい」と心境を語った。
野球部員は八十三人で、三年生は三十一人。感染拡大を受け、ゴールデンウイーク前に練習を中止した。十四日に県内で緊急事態宣言が解除されると、自主練習用に野球場を開放。十八日から練習を再開したばかりだった。
佐々木監督によると、練習中止の期間中は、部員たちに体幹を鍛えるトレーニングなどを課していた。「いつでも、できるようにしておけ」と部員に言っていた。
練習を再開すると、部員たちの動きは良く、各自がトレーニングを続けていたことが察せられた。投手たちもピッチングをできる状態を維持していた。
大会中止の見通しになった二十日午前の練習でも、三年生たちの様子に変化は見られなかったという。「いつもと同じで元気にやっていたが、内心は分からない。何と声をかければいいか…」と表情を曇らせた。
「でも、いつまでも落ち込んでいるわけにはいかないし、いろいろな種目で同じことが起きている。気持ちを切らさず、次のステップで高みを目指してほしい。県大会もなくなったら、遠征試合などで三年生に何か形を残してあげたい」と話した。
第十三回大会に出場するなど古豪の水戸商業(水戸市)の西川将之監督(35)は「(中止は)受け入れられず、信じられない」と声を絞り出すように話した。
前々回と前回は準決勝で敗退。「今年の三年生は、もう一歩先を行かなきゃならないと思い、この冬は甲子園に行くために練習を積んできた」と振り返り、「本当に悔しい」と語った。
その上で、「選手たちの心情が不安。これまでやってきたことを否定するのではなく、前を向いてほしい」と、選手たちをおもんぱかった。
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夏の甲子園大会の中止が決まったことを受け、県高野連の榎戸努専務理事がこの日、取材に応じ「このまま大会がなかったら、夏の大会に向けて頑張ってきた三年生に悔いが残るし、区切りがつかないと思う。公式戦には含まれないかもしれないが、何らかの形で最後の大会を開いてあげたい」と述べ、県独自の大会開催を模索する考えを示した。二十六日に開く臨時理事会で検討する。(引用終わり)