新型コロナウイルスによる営業自粛の影響で、ついにお店を廃業する飲食店や旅館が次々と出ていますね。
以下の参考記事に名前の載っている店舗のいくつかは浜爺が記事を読んで知っている店がありました。
木挽町辨松さんなんかは早めに見切りをつけられたなーと思い、ここをクリック⇒記事にしました。 ようやく東京圏で緊急事態宣言解除となったのに全国で続く名店の廃業には心が痛みます。
写真:「酔の助」店舗と店主
マネーポストWEB:
新型コロナウイルスの脅威にさらされ、飲食店や旅館が次々と廃業している。人々から愛された老舗もその例外ではない。老舗の焼き鳥屋「本家 藤よし」(福岡・福岡市)は約70年の長い歴史に幕を下ろした。店長の早川鴻之輔氏(84)が話す。
「終戦後、満州から引き揚げてきた兄が屋台から始め、私が2代目を引き継ぎました。元々お客さんが減っていたところにコロナが追い打ちをかけ、廃業せざるをえませんでした」
1979年創業の大衆居酒屋「酔の助」(東京・神保町)はバラエティ豊かな料理とレトロな雰囲気が人気で、『逃げるは恥だが役に立つ』などドラマのロケにもよく使われた。店に立ち続けた店主の一山文明氏(66)は「もっと続けたかった」と悔しがる。
「1日40万円ほどあった売上が、4月に入るとたったの3万円に。緊急事態宣言が出た前日の6日は、お客さんが2人で2900円。諦めるしかなかった」
ほかにも、全国には断腸の思いで暖簾を下ろした名店、名宿は少なくない。そうした名店の思い出の姿を、心に刻みたい。
酔の助(東京・神保町)
創業41年、映画・ドラマで何度も撮影された有名居酒屋。閉店前日の5月27日、近隣店舗の仲間や常連客が次々と店舗を訪れ、店主・一山氏との別れを惜しんだ。壁に貼られた名物メニューは150種類以上。
丸八やたら漬(山形・山形市)
営業最終日の5月31日、社長らが店頭で感謝の想いを伝え、明治18年創業、135年の歴史に幕を閉じた。国の登録有形文化財の店舗や蔵は解体される。
水月ホテル鴎外荘(東京・台東区)
約80年の歴史を有する文豪・森鴎外ゆかりの老舗旅館。女将・中村みさ子氏は「敷地内にある鴎外の旧居を守るため、早期に閉館を決断した」と語る。
味よし 国分町本店(宮城・仙台市)
国分町で店を構えて40年以上の老舗ラーメン店。深夜まで営業していたので、飲み会帰りに締めの一杯を求める人も多かった。
郷土酒亭 元祖炉ばた(宮城・仙台市)
いろりを客が囲む「炉端焼き」発祥の店とされ、県外からも数多くの文化人が訪れた。いろりの前に座った店主が、長い木べらに徳利を載せて客に差し出す独特のスタイルが名物だったが、6月末で閉店。棟方志功、遠藤周作も通った炉端焼き発祥の名店。
ブリック 中野店(東京・中野区)
1964年にオープンしたサントリー直営の老舗バー。シックな店内で味わうトリスハイボールが名物の大人の社交場だったが、4月18日に突然の閉店を発表。ツイッターでは惜しむ声が数多く寄せられた。
芙蓉亭(東京・吉祥寺)
井の頭公園の緑を望める1988年開業の一軒家レストラン。らせん階段のあるおしゃれな内装で、プロポーズや結婚式に利用する人も多かった。グルメ番組にも登場し、予約が取れない店として有名だった。
ステーキハウス のぶ(東京・浅草)
1980年、浅草生まれの店主・小田延明氏が妻・広子さんと始めた下町の洋食屋。ステーキや、特製デミグラスソースがかかったオムライスを目当てに観光客も訪れた。
木挽町辨松(東京・銀座)
明治元年、歌舞伎座前で暖簾を掲げ、歌舞伎役者や観劇客からも贔屓にされた。作家の池波正太郎など、辨松の味を愛した著名人も多い。152年続いた「歌舞伎座前の弁当屋」。
割烹旅館安藤(鹿児島・薩摩川内市)
地元食材を使った鍋や会席料理が人気で、宿泊のほか、宴会や法事も行なえる施設だった。多数のキャンセルが発生し、3月末に事業を停止。
レバンテ(東京・有楽町)
1947年創業、日本におけるビアレストランの草分け的存在だった。牡蠣料理が評判で、松本清張の小説「点と線」の舞台にもなった。
本家 藤よし(福岡・福岡市)
昭和24年、日本三大八幡に数えられる筥崎宮の参道で、屋台から始まった焼き鳥店。地元で「藤よしの焼き鳥」として愛され、突然の閉店に惜しむ声があがる。
※週刊ポスト2020年6月26日号