宮崎酒造店を後にし、山の中を軽トラで走ること10分で思い出の場所に辿り着きました。
電話をしても出ていただけなかったので中に入ることは出来ませんでしたが、クリスマスをむかえるためのリースが飾ってあったので、お元気だと信じています。
紛失が分かっているカメラを除けば、8月10日の日記の写真にある分の大事な写真集は全て戻って来ましたので、一安心でした。
これらの写真集は、大事な方の手に渡る予定です。
←そうそうたるメンバーが名を連ねる写真集
もくもく村の作業で負傷した右手親指もやっと良くなりましたので、そろそろ挨拶に行こうかと考えています。
ちなみに怪我が『治った』かどうかの基準は、右手で鼻毛が抜けるかどうかです。
もくもく村に残してあった物品の回収と最後の挨拶が残っていますが、今年6月に亡くなった母親関連の用事がまだ残っているからです。
もくもく村に残してあった物とは、畑に使った資材や展示用のモデルハウスの展示の小道具として使ってもらっていたラジカセやカメラ、自然を写した写真集などです。
しかし、今日妻から連絡があって、置いてあったカメラが無いことを知らされました。
最後にカメラの存在を確認出来たのは6月27日で、もくもく村(無添加村)が千葉テレビの取材を受けた日でした。
その時にモデルハウス内にあった私のカメラの存在を、テレビカメラはしっかりと捉えていました。
それがこの画面です。
中央のテーブルの上の端にある黒いものが、私のかつての愛機であるMINOLTA X-700です。
そして私がもくもく村卒業宣言を出したのが遡る6月24日でしたが、この時点でもくもく村の専務様には、そのことをメールで直接伝えてありました。
私のもくもく村卒業宣言は、当然ながら提供資材の引き取りを含む撤収の宣言も意味するものですので、私が撤収宣言をしてからカメラが紛失するまでの間に、紛失防止のための配慮がなされていなかったことを意味します。
提供(貸し出し)した資材の紛失も、卒業宣言をする前とした後では、その意味が違うのです。
営業中ならばいつでも誰もが入って見学出来るモデルハウスの中では、当然紛失のリスクも高いです。
それを覚悟の上での提供は、もくもく村と夢を共有しているからこそだったのですが・・・。
去る者は追わずとは言いながら、もくもく村の不誠実な対応には、呆れるばかりです。