インディアンの男の子
リトル・ムーン
作: ヴィンフリード・ヴォルフ
絵: ナタリー・ドロシー
訳: 永野 ゆう子
出版社: ほるぷ出版
税込価格: 1,680
(本体価格:1,600)
発行日: 1996年
下記は、本のカバーからの引用です。
*リトル・ムーンは
*ひとりぼっちでした。
*家族も友だちもいませんでした。
*「お月さまおしえて!
*ぼくのお父さんとお母さんは
*どこにいるの
*ぼくの名前はリトル・ムーン、
*“小さい月”っていういみなんだよ」
*けれどもお月さまは
*なにもこたえてはくれません。
*きせつが変わり、村の人たちは
*リトル・ムーンをのこして
*出発してしまいました・・・・・・。
*小さな男の子が
*いくつかの出会いをとおし、
*こころやさしく成長していくすがたを
*力強くあたたかいイラストで描いた
*絵本。
-筋書き-
インディアンの村に住む少年のリトル・ムーンは、気がついた時から家族も友だちいなくてひとりぼっちでした。
リトル・ムーンは、悲しくて寝られない夜には村を抜け出し、空を見上げて月にたずねます。
*「お月さま、そんなに高いところにいれば 世界中が見えるでしょう。
ねえ、ぼくのお父さんとお母さんは どこにいるの?」
しかし、月は返事をしてくれませんでした。
その年初めて北風が吹いて、村人たちは冬ごもりの森へ引っ越しを始めましたが、リトル・ムーンは置いてけぼりにされてしまいます。
リトル・ムーンが村人を追いかけていこうとした時に、一匹のポニーも残されていたことに気が付きました。
リトル・ムーンは、そのポニーに乗れると喜んだのですが、実はそのポニーは脚が悪く、しっかりと歩くことができなかったために取り残されていたのです。
それを知ったリトル・ムーンは、とてもがっかりしてしまい、独りで歩き出しました。
歩きながらリトル・ムーンの目には涙があふれます。
その時、リトル・ムーンの肩にやさしく触れるものがいました。
それは、あの脚の悪いポニーでした。ポニーは、リトル・ムーンの後をついてきたのです。
ポニーは、弱音を吐くリトル・ムーンを励ますかのように振り返り、そしてリトル・ムーンの先を進みます。
リトル・ムーンは、一日中草原を歩いてへとへとでしたがポニーに元気づけられ、はるか向こうの森までを目標としてついにそこに辿り着きました。
森につきましたが、食べるための果物や木の実は少なく、リトル・ムーンは森の中でけものたちの気配を感じながらポニーに寄り添って夜を明かしました。
次の日リトル・ムーンは、お腹をすかせたままポニーと歩き続けました。
そのうちにどこからか煙の匂いがしてきましたので、その先に誰かがいることを知りました。
リトル・ムーンは、そこにいる人に助けてもらえると喜んだのですが、リトル・ムーンが出遭ったのは、ただひとり毛布にくるまって座っているだけの老婆でした。
老婆は、リトル・ムーンの呼びかけにも無愛想でしたが、しばらくしてリトル・ムーンに薪をさがしてくるように悟らせました。
老婆は、薪を探しに飛び出したリトル・ムーンの後ろから呼びかけます。
*「おったときに、パキンと かわいた音がする木だけを あつめるんだよ!」
リトル・ムーンが両腕いっぱいの薪を集めてくると、老婆は上手な焚き火の仕方を教えてくれました。
そして、その火を使って木の実と果物のスープを作り、リトル・ムーンに食べさせてくれました。
お腹いっぱいになると老婆とリトル・ムーンは、お互いの身の上話をしました。
老婆は、リトル・ムーンの名前の由来を話して聞かせてくれました。
月が欠けた夜に見つけた子供だからだろうと言うのです。
そして自分は“うたうツバメ”と呼ばれていたのだと言いました。
リトル・ムーンは、ポニーと一緒に老婆のところにいることになり、冬を越すための食べ物集めや薪集めを、ポニーと一緒にいっしょうけんめいやりました。
そしてついに冬がやってきました。
雪は何もかもを厚くおおい尽くして、森は死んだように静まり返り、空気はさすような冷たさになって、夜にはオオカミの吠える声が聞こえます。
飢えたオオカミの恐ろしい声は、一晩ごとに近づいてきました。
リトル・ムーンは老婆に言われて、すみかにしているほら穴の前で火をおこし、見張りをしました。
オオカミは、その目やとがった牙が暗やみでも分かるくらいまで、ほら穴に近づいて来たのです。
リトル・ムーンは、おびえてふるえるポニーに見つめられながら、一晩中火の番をしてオオカミを寄せ付けませんでした。
朝になるとオオカミは去っていきました。
時々寒さがゆるむ日もあり、雪も降りましたが、リトル・ムーンは、ポニーとまた森の中に食べ物を探しにいきました。
この冬はとても長い冬でした。冬の蓄えは底を尽きそうです。
そんなある日、老婆は目を閉じて自分の一生をしゃがれた声で歌いはじめました。
声がかすれ、ぜいぜいという音をさせて途切れ途切れになりながらも老婆はうたを続けます。
リトル・ムーンは、老婆の言葉を夢中で聴きました。
老婆はリトル・ムーンをやさしく見つめます。
*うたうツバメは ながいとを いきた
*さいごの冬、リトル・ムーンがやってきた
*おお つよくてゆうかんなインディアンよ
*おおかみが もどってきても ほのおで おいはらい
*ポニーを まもるだろう
*さむさにも ひもじさにも まけないだろう
*春がきたら なかまをさがしに たびにでるがいい
*きっと みつかる、よきなかまと りょうしんが
*リトル・ムーンに 人を大切にするきもちが あるかぎり
*うたいおわると、おばあさんは 頭からもうふをかぶりました。
*しばらくしてから、リトル・ムーンは そおっと もうふを
*ひっぱってみました。 おばあさんは うごきませんでした。
*リトル・ムーンは きゅうに こわくなって、もうふを
*もとにもどしました。
*おばあさんは しんでいたのです。
リトル・ムーンは、老婆の死が悲しくて胸が張り裂けそうでしたが、老婆のうたに勇気づけられるのを感じました。
リトル・ムーンは決心します。
*「春がきたら たびにでよう。 自分の村を みつけて、お父さんとお母さんと いっしょに くらすんだ」
ここからがレビューです。
物語は、リトル・ムーンが、死んだ老婆を振り返りながら、ポニーと旅立つシーンで終わります。
そして裏表紙の裏面には、後ろを振り返らずに歩くリトル・ムーンが描かれていました。
物語の中で一般的にインディアンは、人間が自然の厳しさを受け入れて共存することの象徴として描かれることが多いようです。
そしてこの物語の中では、愛するものの死すらも自然の摂理のひとつとして、受け入れるべきものであることが描かれています。
恵まれなかった少年は、出会ったものたちに教えられ、そして励まされて心やさしくも強い人間に成長しました。
一方で家族や仲間から見捨てられて死にゆく老婆は、同じように見捨てられた少年に持っていた知恵を授け、最後に昔と同じように“うたうツバメ”になって少年に未来を託します。
久しぶりのレビューでしたが、手に入れてからこれほど紹介を楽しみにしていた絵本はありません。
読後この絵本のイメージが、幾度となく私の中でよみがえっていたのは、自然の摂理を素直に受け入れることや人から人へ伝わるもの大きさが、未来ある人間をより大きく成長に導くものだと教えられたからでしょう。
そしてそれが、今の人間の原点により近いインディアンを通して描かれているからだと思うのです。
これは繰り返し繰り返し読んでいただきたい絵本です。
何故ならば、それは初めの方の幾度かの読後感がリトル・ムーンの哀れな印象に引きずられがちになるからです。
読者の私たちも、リトル・ムーンや老婆のおかれている状況や自然の摂理を受け入れることで、新しい希望に満ちた世界がそこに広がるからであって、そこに作者の意図があるからです。