親父が5月22日に亡くなりました。
23日に通夜、24日に告別式を無事に終えました。
行年99歳(数え年)
白寿のお祝いをしてあげたかったし、100歳まで生きて欲しかったです。
お袋が亡くなって1年半過ぎた頃から体調が不安定になってきました。
年末には、「お正月を越せるだろうか?」と心配するほど。
徐々に足腰が弱り、デイサービス以外には外出しない日がほとんどになってきました。
4月に入ってからは微熱が出る日が多くなり、食欲も落ちてきました。
かかりつけ医に紹介状をお願いし、お袋の入院の際にキチンと面倒を見てくれた病院に掛けあい無事入院。
病状により転院してから、たったの1ヶ月で力尽きました。
体力の衰えで治療薬に耐えられなかったのかもしれません。
行くたびに覇気がなくなり、言葉数も減っていきます。
認知症の症状も一気に進み、眠っている時間が増えました。
名前を呼べるのは、あっしと家人、そして二番目の姉だけとなりました。
最後まで名前を呼んでもらえる喜びは、疲れを忘れさせてくれました。
苦しむこともなく、痛がることもなく・・・
最後は、 静かにしずかに極楽浄土に旅立ちました。

出征時の若かりし親父
運に恵まれた人でした。
子供の頃は三番目に生まれた長男で、大事に大事に育てられたそうです。
太平洋戦争では、飛行隊員として満州国やフィリピンなど最前線へ赴きましたが無事に帰国。
終戦前に消防士の職を得て、その後退職まで勤め上げました。
大阪市営地下鉄のガス爆発事故の際、消防車で出動したのですが最初に止めた場所で胸騒ぎがして、別の場所へ移動。
最初の場所がガス爆発の地点だったので、移動させていなければ死んでいたことでしょう。
定年退職直後に胃がん、その3年後には背骨が溶ける難病に冒されましたが、この歳まで永らえました。
内臓は強いとは言えず、痩せぽっちの体でしたが、寿命があったのでしょうね。
一見優しそうに見えますが、家では融通の利かない頑固もの。
ワンマンな親父に、お袋は苦労しました。
胃の摘出手術をした58歳以降は農業さえせず、以降の約40年間は隠居生活の身でした。
好きな将棋が中心の、好き放題の生活でした。
車が好きで、村で一番最初に免許を取ったそうです。
満96歳まで、嬉しそうに車に乗っていました。
交通事故が心配で自動車を取り上げると、また新車を買うというイタチごっこ。
この遺伝子は、あっしや息子に引き継がれたようです^^@
免許証を返納した後でも、「軽トラ買おうと思うけど、どうや?」と息子に尋ねて苦笑。
半年ほど前まで電動自転車に乗っていたのですから、運動神経は良かったのでしょうね。
「まだまだ生きれる!」と思っていただけに、呆気ない最期でした。

5年前の元気な親父
「元気に長生き」「好きなように生きる」を実践した親父。
これほどの幸せ者はいないでしょう。
あとは・・・極楽浄土で、お袋と仲良くやってくれればいいのですが・・・