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四国清流四万十川の旅(2)~新改駅観察と宿毛駅事故調査

2008-09-02 22:22:15 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
旅2日目の今日は、スイッチバック駅である土讃線・新改駅を見る。

室戸荘を朝8時半に出発し、昨日私たちをここに運んできてくれた「岬めぐりのバス」、高知東部交通・安芸営業所行きに乗り、奈半利駅を目指す。バスは安芸まで直通しているし、ごめん・なはり線は既に開業初日(2002年7月1日)に乗っているから、バスで安芸まで行くのもひとつの方法だが、手にしている「周遊きっぷ」四国ゾーンを少しでも生かしたい。

それにしても、漁村の中を通りながら進んでいくバスの沿線には何もなく、時折個人商店や集落が見える程度だ。『建物と言えば民家しかないからバス停の名前が山下さん家(ち)前』という歌があったが(「佐賀県」はなわ)、ここには「住宅前」というバス停があった。市営住宅前でも公団住宅前でもない、ただの「住宅前」である。バス停の前にあるのは民家だ。

室戸岬を出て約1時間、奈半利駅に着く。ごめん・なはり線4865D(9時47分発)への乗り継ぎは無理と見て、次の4867D(10時51分発)への乗り継ぎを考えていたが、意外にもバスは定刻通り着き、4865Dへの乗り継ぎに成功。このおかげで後免到着が10時55分と、1時間以上も早まった。

当初の計画通り4867D乗り継ぎでは、後免から新改まで土讃線の列車がなく、タクシーを利用することになっていた。だがこの「嬉しい誤算」の結果、土讃線4242D(後免11時2分発)への乗り継ぎに成功する。1987年に国鉄とJRをつなぐ目的で登場し、「国鉄仕様のレールバス」というべき珍車・キハ54に揺られながら新改に着く。

新改駅はシーサスクロッシングを持ち、堂々たるスイッチバック駅である。写真は私の乗ってきたキハ54系列車が本線に入ったところを撮影したものだ。

鉄道が素人の妻(それでも最近、私の「鉄毒」に侵され「ここの駅には架線がないね」とか「あれは国鉄カラーだよね?」などと言うようになった)に、スイッチバック駅が発生した理由と引上線の必要性を説明する。珍しい駅の構造に少しは興味を引かれたようだった。

新改駅の観察を終えた私たちは再び土讃線245D(新改13時12分発)に乗る。245Dで高知まで行く予定だったが、途中、土佐山田で後続の「南風7号」に乗り換える(四国ゾーン券は特急自由席フリーである)。高知には13時39分到着。

高知でやや遅い昼食とする。土佐電鉄の電車に試し乗りし、はりまや橋の繁華街に着くと、高知名物である鰹のたたきの店があった。価格が手ごろな店を発見し、鰹のたたきを中心に食す。太平洋で獲れた新鮮な鰹のたたきを定食にして、価格はほぼファミレス程度である。

午後からは、高知市中心街の一角にある「まんが甲子園通り」を訪れ、モニュメントを見る。実は私の母校がまんが甲子園で全国制覇したことがあり、高知に来たらぜひ行こうと思っていた。母校を含む歴代優勝校のモニュメントにじっくり目を通し、写真に納めた。

高知で土産物屋さんを物色するなどした後は、15時44分発特急「南風11号」に乗り、未乗区間の土佐くろしお鉄道線へ。中村からは621Dに乗り換え。学校帰りの高校生たちと一緒に宿毛に到着。

ああ、思えば遠くへ来たもんだ。昨日の室戸岬も、最寄り駅からバスで1時間半も走らなければならないほどの最果てだった。だがこの宿毛もそれに勝るとも劣らない最果てである。「清流四万十川を見たい」という妻の希望とはいえ、ここは四国の奥も奥。鉄道ではもうこれ以上先へは行けない。

宿毛に着いた私は、宿毛駅事故の調査を行った。リンク先にある通り、2005年3月に起きた列車暴走事故である。停車できなかった特急「南風」が駅舎に突っ込み大破、運転士が亡くなった。

この事故に関しては、事故現場を見るまで「速照ATS不備」が事故の原因とにらんでいた。事実、国土交通省航空・鉄道事故調査委の報告も同様の見解を示している。しかし、今回私が中村~宿毛間を全線走ってみた限りでは単純にそれだけともいえないと思う。
なぜなら中村~宿毛間は1997年に完成した高規格路線で、ほとんどが高架線上を走るため、途中、110km制限区間が1ヶ所あるほかはすべて本則での走行を認めている。そもそも線路条件による速度制限区間がほとんどないわけだから、土佐くろしお鉄道としては速照ATSを設けるという発想自体が、事故以前はなかったのではないかと考えざるを得ない区間なのだ。誤解を恐れず言えば、「高規格路線を造れば事故なんて起きない」という運行サイドの盲点を突く事故だったのではないかというのが、現場を見ての私の率直な感想である。

事故調査を終えた私たちは、宿毛駅前の「秋沢ホテル」を今夜の宿とした。
さあ、四国旅行も残りあと1日である。

【完乗達成】土佐くろしお鉄道中村線、宿毛線

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