安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

当ブログのご案内

当サイトは列車の旅と温泉をメインに鉄道・旅行を楽しみ、また社会を考えるサイトです。

「あなたがすることのほとんどは無意味でも、あなたはそれをしなくてはなりません。それは世界を変えるためではなく、あなたが世界によって変えられないようにするためです」(マハトマ・ガンジーの言葉)を活動上の支えにしています。

<利用上のご注意>

当ブログの基本的な運営方針

●当ブログまたは当ブログ付属サイトのコンテンツの利用については、こちらをご覧ください。

●その他、当サイトにおける個人情報保護方針をご覧ください。

●当ブログ管理人に原稿執筆依頼をする場合は、masa710224*goo.jp(*を@に変えて送信してください)までお願いします。

●当ブログに記載している公共交通機関や観光・宿泊施設等のメニュー・料金等は、当ブログ管理人が利用した時点でのものです。ご利用の際は必ず運営事業者のサイト等でご確認ください。当ブログ記載の情報が元で損害を被った場合でも、当ブログはその責を負いかねます。

●管理人の著作(いずれも共著)
次世代へつなぐ地域の鉄道——国交省検討会提言を批判する(緑風出版)
地域における鉄道の復権─持続可能な社会への展望(緑風出版)
原発を止める55の方法(宝島社)

●管理人の寄稿
規制緩和が生んだJR事故(国鉄闘争共闘会議パンフレット「国鉄分割民営化20年の検証」掲載)
ローカル鉄道に国・自治体・住民はどう向き合うべきか(月刊『住民と自治』 2022年8月号掲載)
核のない未来を願って 松井英介遺稿・追悼集(緑風出版)

●安全問題研究会が、JRグループ再国有化をめざし日本鉄道公団法案を決定!

●安全問題研究会政策ビラ・パンフレット
こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

甲状腺がん発表、テントひろば1周年…節目の9.11に思う

2012-09-12 23:14:21 | 原発問題/一般
18歳以下1人が甲状腺がん 福島健康調査8万人分析(東京)

ついに恐れていたことが現実になってしまった。福島の子ども1人が甲状腺がんと発表されたのだ。

「チェルノブイリ原発事故でも甲状腺がんが見つかったのは最短4年。福島では広島、長崎のような外部被ばくや、チェルノブイリのような内部被ばくも起きていない」と述べ、放射線の影響を否定…とあるが、子どもの甲状腺がんは通常の状態では100万人に1人というきわめて珍しい病気である。放射能の影響以外に考えられない。

チェルノブイリでは4年後しか甲状腺がんが発生しなかったというが、当時のチェルノブイリでまともな疫学調査が早期に行われていたとは思えない。なにより当時のチェルノブイリは共産党独裁のソ連時代で、メディアは国営テレビだけ、新聞は党機関紙「プラウダ」と政府機関紙「イズベスチヤ」だけで、情報統制は驚くほど簡単だったのだ。そんな時代にまともな調査と情報公開が行われたと信じるのはあまりに無邪気すぎるだろう。

それに、福島県立医大の山下俊一・副学長に関しては、当ブログはすでに昨年7月の段階で徹底的に暴露している。山下副学長こそがチェルノブイリ原発事故被害隠ぺいの「主犯」であり、鈴木真一教授はその山下副学長と連名で日本中の甲状腺専門医に対し「福島県民が来院しても追加検査はするな」と通知を出していた張本人なのだ(通知文書の内容はサムネイル画像を参照)。

自分たちでチェルノブイリ被害を隠ぺいし、過小評価しておきながら、そのチェルノブイリでは4年後にしか甲状腺がんが出なかったのだから今回も放射能と関係ないなどというたわごとをいったい誰が信じるのか。殺人犯が凶器を隠した後、「凶器が見つかっていないのだから俺は無実だ」と主張するのと同じであり、全くばかげている。こうしたばかげた出来事が、白昼公然と行われているのがこの日本の現実なのだ。
-------------------------------------------------------------------

東日本大震災からちょうど1年半となった9月11日は、また経産省前テントひろばが登場してちょうど1年でもあった。その1周年記念イベントの模様がレイバーネット日本にアップされているが、テントを設置した本人たちも「10日くらいのつもりだった」とのことで、まさか1年後もこのテントひろばが存続しているとは夢にも思わなかったに違いない。

このテントについては、上述のリンク先にあるテントひろばのサイトで、毎日「日記」がつづられている。これに対し、当ブログで何回か「番外編」をお届けしてきたが、今やこのテントは反原発運動「だけ」の拠点ではなくなった感がある。政府・支配層の横暴に怒るあらゆる人たちの情報交換・交流の場として機能している。このテントひろばがなかったら、毎週金曜日の官邸前行動の「爆発」はあり得なかっただろう。

テントひろばは、今なお微妙な政治的バランスの上に成り立っている(そのことは淵上代表も認めている)。経産省に国有財産(土地)の使用許可申請を出しながら却下されたことで、政府は「不法占拠」と主張しているが、もともと国有財産とは国民の共有財産であり、経産省は主権者である国民から管理を委託されているに過ぎない。管理権は無限のものではなく、国の機関が主権者である国民を排除するにはそれなりの覚悟とそれなりの理屈付けとそれなりの手続きが必要だ。

経産省には原子力を推進し、事故を防止できなかった「負い目」もあるのか、今日まで強制排除ができないでいる。警察も警察で、テントひろばに出入りするのが「プロ活動家」だけであればとうに排除していただろう。実際には、多くの一般市民が出入りしており、一般市民を敵に回すことは警察にとってもあまりにリスクが大きい。多くの指名手配犯は市民に紛れて生活しており、市民からの通報が逮捕につながるケースが大半を占めるからだ。こうした状況で、警察が一般市民に手を出し、それが元で一般市民が警察に協力しなくなったら、治安維持の基盤は大きく揺らぐことになるだろう。

テントひろばには様々な立場の人が出入りする。極端に言えば、反原発で一致できるなら右翼でも受け入れており、実際に反原発の右翼団体メンバーが訪れたこともある。互いの意見の違いを尊重し、暴力主義を標榜する勢力にはお引き取り願い、妨害・挑発には乗らず冷静かつ理知的に対応する。そのような原則を貫くことで、微妙な政治的バランスの中を生き残ってきたのである。

それゆえ、テントひろばには「民衆の自治」がある。今、このテントひろばは、反原発運動の交流拠点になるという当初の目的を超えて、民衆自治の実験装置としての政治的色彩を帯びつつあるように私には見える。法律や金や権力による「統治」ではない、真の意味での交流と話し合いによる自治。札束民主主義でもお任せ民主主義でもない、自立し自覚した市民による20世紀型国民国家の超克を目指す壮大な実験とでも表現すべき、それでいてどことなく牧歌的な日常風景が繰り広げられている。

原子力規制委員会が、委員人事の国会承認の手続きさえ踏まず、内閣による任命という無原則な形で発足する。国家行政組織法第3条に規定された「高度に独立した委員会」が、その誕生から内閣による任命という「最大の政治的干渉」を受けたわけだが、政府に任命権を握られた3条独立委員会とは何なのか、という疑問の声はどこからも聞こえてこない。しかしそれは仕方のないことだろう。そんな些末なことなどもはやどうでもいいと思えてしまうほど、この3年間の民主党政権による統治は何から何まで無原則すぎたからだ。

生まれるときから無原則だった組織が、発足後に原則的に運営されるなどということは決してあり得ない。原子力規制委員会が日本最大の無原則無責任組織に成り果てるだろうことは今からすでにはっきりしている。経産省が原子力の所管省庁でなくなることにより、経産省とテントひろばとの関係も大きく変わるだろう。だが、だからといって自分からテントをたたむ必要はない。多くの人々の交流の場となった「トーキョー・コミューン」がやがて大きな自由の翼を得て羽ばたき、日本社会全体を「自治と自立のコミューン」に変えるときが来るだろう。

福島でかつてない苦難の時を過ごす私に求められている役割は、もしかしたら、経産省前で1歳の誕生日を迎えた小さなコミューンに翼を与えることなのかもしれない。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする