安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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献血と内部被曝

2013-10-04 20:08:29 | 原発問題/一般
先日、近くに移動献血車がやってきた。

深刻な血液不足の実態は知っているので、前から献血はできる限りするようにしているが、受付場所に行くと、こんな張り紙があった。

「東京電力福島第1原子力発電所の周辺で作業をしていた方は、お申し出ください」

私がその張り紙を読んでいると、係員が「何か気になりますか?」とひと言。私が「この作業をしていた人を知っているので…」と言うと、その日赤の係員は驚くべきことを言った。

「その作業をしていた人でも、半年経てば(献血を)できるんですよ」。

その日赤係員の言葉を聞いて、原発やその周辺で作業をしていた人が、福島県外では半年間、献血を制限されているという事実を知った。

それ以上は聞くのも野暮と思い、追求しなかったが、汚染された血液を、汚染されていない人の身体の中に入れてはいけないということを、医療従事者はやはりきちんと理解し行動している、という事実を示すものだろう。

(放射線作業従事者に対する特殊健康診断について定めた「電離放射線障害防止規則」では、放射線業務に就いていなかった人を就けるときは事前に特殊健康診断をすること、放射線業務従事後も半年ごとに特殊健康診断をするよう決められているので、半年が一応、ひとつの目安なのだろう。半年も経てば放射線の影響は消える、との政府サイドの考えが反映されていると思う。)

ちなみに、まだ福島県内にいた昨年秋、西郷村の某職場で献血を受けた際には、そのような張り紙、説明は一切なかった。

福島県内では、住民があちこちで自主的に除染作業(=被曝労働)をしているので、このような制限を設けた場合、県民は誰も献血ができなくなってしまう可能性がある。さらにいえば、福島県民は、ある程度防護をしながら生活している人でも、多かれ少なかれ内部被曝はしているから、汚染された血液を輸血されたとしても(推奨すべきことでないのは当然だが)やむを得ない、と許容せざるを得ない事情にあり、制限をかけていないのだと推測される。

昨年、群馬県桐生市議が「献血の車が止まっているけど、放射能汚染地域に住む人の血って、ほしいですか?」とツイッターに書き込み、除名される騒ぎがあったことをご記憶の方も多いだろう。当時、この市議の発言は「福島差別」としてバッシングを受けた。それから1年経ったが、私はこの市議を差別者だと思ったことはない。むしろ「東京は福島から250km離れているので大丈夫」などと公の場で宣言するIOC委員こそ本当の差別者だ。

表現方法が穏当でなかったため騒ぎになったが、結果的にはこの市議が正しかったことが証明されたと思う。もう少し表現に配慮があれば…と思うだけに残念だ。

私自身は、生きるか死ぬかの緊急事態に、輸血される血液が放射性物質に汚染されたものであったとしても、献血してくれた人に感謝することはあれ、恨むことはないと思う。その輸血を受けなければ、その場で死亡してしまうのだから。

原発は、こんなところにまで差別を生むのだと思うと、ますます脱原発に確信を持った。

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