安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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【訃報】国労闘争団「最年長」・佐久間忠夫さん死去

2016-07-14 22:44:00 | 鉄道・公共交通/交通政策
国鉄分割民営化の際、JRに採用されず解雇となった国労組合員らで組織していた「国労闘争団」の最年長で、元国労東京闘争団の佐久間忠夫さんが、7月10日、入院先の大田区内の病院で死去しました。85歳でした。なお、詳しい情報はレイバーネット日本でも報道されています。

病魔に蝕まれて両脚がまったく動かなくなり、2年ほど前から入院して闘病を続けてきましたが、3日ほど前から容態が急変。延命治療は行わない方針だったため、苦しまずに息を引き取りました。

旧国鉄を解雇されてから、国労闘争団員などの被解雇者は解雇撤回・職場復帰を求めて20年以上闘い続けてきました。JR不採用問題は、民主党政権下の2010年に和解により解決しましたが、職場復帰できた人はいませんでした(動労千葉など一部の労働組合・被解雇者の中には、和解を拒否して現在も闘いを続けている人もいます)。過酷な生活を長く続けたため、闘争団員などの被解雇者1047名のうち、すでに百人近くが亡くなっています。50~60代の若さで死去した人も少なくありません。

当ブログでは、過去、国労闘争団員を初めとする被解雇者の訃報をお伝えすることはほとんどありませんでした。しかし、佐久間忠夫さんは当ブログ管理人にとって政治上の「師」であるとともに、親の次くらいにお世話になった方です。鉄道の安全問題、経営問題を追ってきた当ブログとしても、特例として、佐久間さんの訃報だけはお伝えすることにしました。

なお、通夜(・お別れ会)は7月12日、葬儀は13日に、それぞれ東京・江古田斎場で執り行われました。以下、当ブログ管理人が弔電の代わりに佐久間さんの通夜・葬儀に宛てたメッセージを掲載します。このメッセージは、佐久間さんへのお別れの言葉であると同時に、当ブログ管理人の今後の決意表明でもあります。

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<メッセージ>

 安倍政権による改憲発議を認めるかどうか、日本が戦後最も重要な岐路に立った参院選の投票の日に、戦後民主主義の象徴というべき佐久間忠夫さんが旅立ってしまったことに不思議な因縁を感じます。この間、楽しいことだけではなく、いろいろなことがあったはずなのに、今はただ、楽しかったことしか思い出せません。

 14歳で敗戦を迎えた時、昨日まで軍国主義の旗を振っていた周囲の大人たちが、反省もせず、何食わぬ顔で民主主義の旗を振るのを見て、大人に対する信頼が崩れ、自分の頭で考えることの大切さを学んだという佐久間さんのお話は、今なお私の心に印象深く残っています。「敵の最も嫌がることをすれば勝てる」「敵よりも1日長く闘えば勝てる」という佐久間さんの言葉が、最も苦しいとき、いつも私を奮い立たせてくれました。その貴重なお話を、もう肉声で聞くことができないと思うと、寂しくて仕方がありません。

 残念ながら、私たちの力及ばず、佐久間さんが旅立った日の参院選では改憲派の3分の2獲得を許してしまいました。しかし、佐久間さんが種をまいた民主主義の花は、今、少しずつ咲き始めています。これから本当の民主主義が始まるのだと思います。

 今度は私たちが、佐久間さんの遺志を受け継いで、平和、自由、民主主義の守り手となり、再び日本国憲法に息を吹き込むときです。日本の市民は、必ずこの重要な任務を最後まで全うするでしょう。ほんの一握りの金持ちのために、底辺にいる人たちを苦しめる政治、そして戦争、貧困、原発がなくなる日まで、私はまだそちらの世界に行くつもりはありません。少なくとも原発に関しては、私がこちらの世界にいるうちに、最後の日を見届けることができるものと確信しています。

 最後にひとつだけお願いがあります。私も長い闘いの中で疲れること、落ち込むこともあります。そんなとき、時々でいいので、そちらの世界から私を励ましていただければありがたいです。

 いつも私を奮い立たせ、勇気づけてくれた佐久間忠夫さん、ありがとう。安らかにお眠りください。

2016.7.10

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