人生チャレンジ20000km~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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核のない未来を願って 松井英介遺稿・追悼集(緑風出版)

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●安全問題研究会政策ビラ・パンフレット
こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

【書評】あの日(小保方晴子・著、講談社)

2016-11-05 13:48:05 | 書評・本の紹介
ご存じ、「STAP細胞」騒動で日本中を混乱の渦に巻き込んだ、元理化学研究所研究員・ユニットリーダー。「リケジョの星」と持てはやされながら、科学界から「追放」された「元」科学者による著作。あえてジャンル分けすれば「暴露本」の一種と考えていいだろう。話題をさらった著書として、Amazonではベストセラー1位が今なお続いており、購入も考えたが、結局は図書館で借りて読んだ。

結論から言うと、外部から細胞に刺激を加えた場合、細胞が初期化し、緑色に光るSTAP「現象」は確認されたものの、得られた初期化細胞は脆弱で生命力に欠けており、これを再生医療の現場で実用化するためには、まず移植が可能なように生命力を持たせたまま、初期化した細胞を維持しなければならない。だが、その第1ステージさえ突破できないまま、研究中止を余儀なくされた――そんな印象だ。

とはいえ、中学・高校の理科で生物を選択していた私にとって、細胞核とか細胞膜、アデノシン三リン酸なんて用語はとても懐かしく、一生懸命中間・期末試験に向けて生物関係の勉強をしていた青春時代を思い出させてくれる。中学・高校の理科で生物を選択している生徒であれば理解可能な程度に、小保方さんが自分のしていた研究内容をわかりやすく説明した前半部分は楽しく読めた。米国ボストンで過ごしたバカンティ研究室留学時代の話もうらやましく、小保方さんが、このまま成功の階段を着実に上っていくように思われた。

小保方さんの研究生活が「暗転」したのは、なんと言っても理研に移ってからだろう。特に、若山輝彦・山梨大教授との出会いが彼女の人生を大きく狂わせた。小保方さんの「転落」の軌跡が示された後半部分は、若山教授にいかにして研究生活と人生を狂わせられたかの告発に費やされている。

あ然としたのは、小保方さんが早稲田大学に博士論文を提出するとき、指導教員の添削を受けた後の完成版ではなく、添削前の未完成版を誤って提出してしまったと述べている点だ。そのことに気づかず博士号を認定、未完成版の論文をそのまま国立国会図書館に納本した早稲田も、今回の騒動が起きるまで気付かなかった小保方さんも、あまりにずさんだ。

未明までの論文執筆で時間的に追い詰められていたとはいえ、こうした当たり前のことを当たり前にできない小保方さんの「詰めの甘さ」が、結局は魑魅魍魎が跋扈する理研で、名誉欲の塊の研究者たちに利用され、陥れられることにつながっていったのだと思う。加えて言えば、東京女子大の研究者に誘われたから同大へ、バカンティ教授に誘われたからバカンティ研究室へ、理研に誘われたから理研へ、と二転三転する小保方さんの軌跡を見ていると、あまりに自分の運命を他人に委ねすぎで、研究者として自分がどこで何をしたいのか、という主体性がまったく見えてこない。ちやほやしてくれる周囲に流されているだけのように見え、このことも、彼女が陥れられることにつながっていったように思われる。小保方さんは、「生まれ変わってもまた研究者になりない」などと書いているが、もっと主体性を持ち、当たり前のことを当たり前にこなせるようにならない限り、難しいだろう。

Amazonのレビューでは、この本を高く評価する一般読者と、否定的に評価する研究者に真っ二つに割れていることも興味深い。こうした事実こそ、日本の科学界が「ムラ」化し、一般国民の常識とかけ離れていることを示している。「言いたいことがあるなら論文で反論すればいい」と評している「科学者」も見受けられるが、すでに理研の職も早稲田の博士号も失い、科学界を「追放」となった小保方さんに対して、それは酷な要求というものだろう。私は、科学界を追放された以上、小保方さんの身分は一般人であり、「一般人枠」の中で科学界批判の著書を出すことには問題はないと考える。

「この本に書かれていることは本当なのか」と疑う声も、ブックレビューに多く出されているが、私はおおむね事実という印象を受ける。嘘やでっち上げでここまで具体的で整合性のとれた記述は不可能と思われるし、STAP騒動勃発後の理研の対応についての記述が支離滅裂なのも、理研の対応そのものが支離滅裂なのだから致し方ないところだ。実験を繰り返しても自分の望む現象が再現できなかったことや、論文を投稿しても「不採用」になったことなど、自分の失敗も隠すことなく告白している。そして何よりも、理研の職から博士号に至るまですべてを失い、文字通り「命以外に何も失うものがない」状況に至った小保方さんにとって、こんなところで嘘をつく実益がないからだ。

この本の中で、自己の名誉欲と権力を満たすためなら何でもする、手段を選ばない人物と言わんばかりに徹底的に批判された若山教授は、ここまで言われた以上、何らかの見解を表明することがあっていいのではないか。無視し続けることで嵐が過ぎるのを待っているのかもしれない。だが、このまま反論せず沈黙を続ければ、この本に書かれたことを事実として認めたことになる。「笹井―小保方ライン」を潰し、笹井氏は自殺にまで追い込まれた。このことに、若山氏は良心の呵責を感じないのか。もし、感じないとしたら、日本の科学界の腐敗ももはや御しがたいように思う。

当ブログは、2014年6月18日付け記事「STAP細胞、そして「美味しんぼ」~信じたいものだけを信じ、科学と強弁する自称科学者たちへの最後通告」の末尾でこう記した。『めまいがするほどあまたの堕落、腐敗、利権、打算と野望にまみれた師弟関係、そして何より真理も事実も否定して、自分の信じたいものだけを信じ「科学」と強弁する「ムラ」住人たち――もう日本の科学に未来はない』。本書を読んだ限りでは、日本の科学界に対するこの評価を、変える必要はないように思う。

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