当ブログが最近、すっかり書評ブログ化している気がする。それほどまでに現実の政治に展望がなく、ネットも絶望的につまらない。入院と、Win10の不具合によって約1ヶ月、ネットから遠ざかったが、ちっとも困らなかったという事情もあり、当ブログ管理人はネットから離れ、知識の吸収は本による「原点回帰」をしている。こんなにたくさん本を読んだのは学生時代以来だと思う。
さて、今回取り上げるのは、「この経済政策が民主主義を救う~安倍政権に勝てる対案」(松尾匡・著、大月書店)。出版している大月書店は、新日本出版社とともに、知る人ぞ知る日本共産党系列の出版社。「そっち系」の本は充実している。ただ、著者の松尾は、保守系のPHP出版等からも自著を出版しており、「そっち系」の人でないことは誤解のないようにしていただきたい。
そういうわけで、「そっち系」方面の一部だけで話題になっているが、なぜリベラルがいつまでも自民党に勝てないかを考察した上で、リベラル派は経済政策に難があるからだという問題意識が、本書の出発点になっている。選挙のたびに争点を尋ねるマスコミの世論調査では、いつも1位は「景気・雇用」で2位は「社会福祉」。反原発、基地反対、それ自体はとてもすばらしいことなのだけれども、これらはいわば「飯を食うことにつながらない」テーマ。どんなにすばらしいことを唱えても、腹が減っては戦はできないし、どんなすばらしい政策も、資本主義が資本主義である限り、お金がなくては始まらない。そのことを忘れて、原発をなくすため、基地をなくすためには空腹に耐えろ、では誰もついてこない。本書は、そんな「本音のお話」から始まっている。
とはいえ、経済学に関する知識は、大学で一応、経済学科を経験している私にとってはイロハのイに属するような、ごくごく基本的な話ばかり。中学校社会科の公民の授業のようで、「なめとんのか!」というのが正直なところ。ただし、経済学を専門に勉強した経験のない人には、参考になる内容ではある。
この本では、松尾の最も言いたいこと、すなわち結論は巻末の「むすびにかえて」ではなく、「はじめに」にいきなり書かれている。緊縮政策は左翼・リベラルにとって禁じ手であり、左翼・リベラルこそどんどんお札を刷り、政府支出を拡大して、その金で弱者を救済せよと説く。緊縮財政で社会が疲弊したギリシャで、いきなりSYLIZA(急進左翼連合)が政権を取ったりしているのは、こうした緊縮政策で結局、貧困層が苦しめられたことが背景にある。本書はそうした欧米諸国の動向も念頭に置いている。
当ブログの書評が「それまで自分の中で常識となっていたことを転換させてくれる本」「それまで地球の周りを太陽が回っていると思っていた人々に、実際に回っているのは太陽ではなく地球のほうなのだとわからせてくれる本」を「名著、好著」の基準としていることは、すでに
過去ログでも述べている。そして、この基準に照らすなら、本書もまた名著、好著の部類に入る。なによりも、政府(特に財務省)による「国の借金1000兆円」との宣伝が行き届きすぎて、日本国民はもうかなり以前から「緊縮財政が当たり前」「金がないんだから、政府に何を言っても仕方ない。自分で解決するしかない」と信じ込まされている。自分で解決するしかないから、ある人は新自由主義に走り、別の人は差別排外主義に傾倒することで他人(特に外国人、マイノリティ、女性)のせいにし、そのどちらも選べない「優しい人たち」は静かに自分の命を絶っている。左翼・リベラルが政権を取ったとき、本書に書かれている政策を実行できるなら、多くの人を救うことができるだろう。安倍政権? そんなもの1秒で粉砕できる。
実は、当ブログ管理人はかなり以前から、「消費増税などせず、国債を発行して資金調達すればいいのでは?」と薄々思っていて、妻にだけは何度か話したことがある。1000兆円の借金を抱えている日本にとって、もう100兆や200兆くらい借金が増えたところで大勢に影響はないし、その国債の7~8割は日本国内で日本の金融機関、日銀、富裕層が保有しているのだから「外国に日本の命運が握られている」わけでもない。
そして、何より重要なことは、貧困層からも容赦なくむしり取る「逆進性」の象徴としての消費税などより、「買いたい人が買い、買いたくない人は買わなくてもよい」「買う能力のある人が買い、買う能力のない人は買わなくてよい」国債のほうが、よほど応能負担(能力に応じた負担)の原則にかなっており、その意味では公平な手法であるといえる。赤字国債は「財政法」で発行が原則、禁じられており、発行するには法改正が必要だが、国民の注目を集めやすく、与野党対決法案になりやすい税制改正法案と違い、特例公債法案(財政法で原則、禁止されている赤字国債の発行を、今年度に限って○○兆円まで認める、という内容の法案)は誰も注目せず、対決法案にならないから簡単に国会を通過する。
増税が難しい日本では、政府は赤字国債によって資金の調達を続けてきた。財務省は、国債の償還にいわゆる「60年ルール」を採用していて、例えば10年ものの国債を60兆円分発行した場合、10年後に実質的に返すのは6分の1の10兆円だけ。残り50兆円分は、新たに国債を発行して「借り換え」をする自転車操業でしのいでいる。10年ものの国債でも、6分の5は借り換えで済ませるこの手法では、本当に6分の6の全体が返されるのは60年後になる。60年ルールとはそういう意味である。つまり、富裕層(に別に限らないが)が買った国債は、60年後にならなければ全体が戻って来ない、事実上の「富裕層課税」として所得再分配の機能を果たしてきたのである。
加えて、松尾の掲げる政策――「左翼・リベラルこそどんどんお札を刷り、政府支出を拡大して、その金で弱者を救済せよ」が経済的に合理的なのは、「無駄な支出の削減」をめぐって「公共事業ムラ」と闘わなくてすむ点にある。民主党政権が3年ちょっとのわずかな期間で倒れてしまったのは、「コンクリートから人へ」のスローガンの下に、福祉・医療・教育に充てるための財源を、いきなり公共事業削減で捻出しようとして「公共事業ムラ」との全面戦争に発展したからである。コンクリートから人へのスローガン自体の正しさを、当ブログは疑わないが、日本の「公共事業ムラ」はあまりに強力すぎて、脆弱な政権なら一撃で倒してしまうほどの利権を持っている。政権基盤も十分に固められないうちから、「無駄な支出の削減」を通じて、日本で一番強力な敵にいきなり闘いを挑んだ民主党政権はあまりにやり方が無謀すぎ、倒れてしまった。
そしてその民主党政権の失敗を通じて、リベラル層は「もう二度とこの国で政権交代はできない」とすっかりあきらめ、選挙に行くこと自体をやめてしまった。民主党に政権を奪われた2009年総選挙より、その後の総選挙での得票のほうが少ないにもかかわらず、安倍自民党政権はリベラル層のこの失望に支えられ、安定的に推移してきたのである。
誰かを助けるために誰かから金を奪うのではなく、ゼロから金を作るよう説く、松尾の本書における提言には価値がある。築地移転だ、オリンピックだ、リニアだと暴走の限りを尽くす公共事業ムラはいずれ倒さなければならないが、小泉政権でも民主党政権でも倒せなかった彼らと闘うのは得策とは思えない。衰えたりとはいえ、建設業界では未だに1000万人近い人が働いており、それは8000万人と言われる日本の労働力人口の8分の1にも達する。公共事業ムラを倒すということは、「日本の労働力人口の8人に1人が失業してもいい」という主張を認めることであり、あまりに犠牲が大きすぎるのである。どんな強力な政権でも公共事業ムラを倒せないのには、それなりの理由があるのだ。
それでも日本の土木・建設業界は徐々に縮小しており、ムラもそれによって縮小している。リニアなどの公共事業と闘ってきた当ブログとしても悔しいけれど、つける薬もない彼らのことは「自然死するまで放置」しか手がなく、彼らが浪費する国家予算は民主主義の必要経費と割り切るしかない。どうせ日本国債を買っているのは日本の富裕層と金融機関なのだ。利益を受け取る者が、内部で国債を買い、せっせと公共事業ムラを支えているだけの話だ。その国債の借り換えも実質的には彼らが行っているのだから、もう勝手にすればいい。彼らの動向と無関係に、こちらでも国債を発行し、どしどしお札を刷って、国民が本当に必要としている分野(医療・福祉・教育)に金を回す――松尾のこの手法でしか、「保育園落ちた」と泣いている母親を救う手はもうないと思う。
以上の理由から、当ブログは、一見、荒唐無稽に思えるが、実際には理にかなっている松尾の経済政策を支持するとともに、本書も推薦図書に指定する。