「ソ連崩壊後に公開された史料をもとに知られざる「素顔」に迫る~スターリンを知らずしてロシアは語れない」と、帯には大きく書いてある。著者・横手は慶大法学部教授。過去には在モスクワ日本大使館調査員として勤務経験を持つロシア専門家。
ロシア革命は1917年、ソ連邦の崩壊は1991年。ソ連が存在していた期間は74年間であった(実際にはソ連建国宣言は1922年に行われたが、本エントリではロシア革命をソ連時代の起点としている)。スターリンは1922年の共産党書記長就任から53年の死去まで、31年間もソ連の最高指導者として君臨した。ソ連時代の歴史の4割はスターリン時代だったことになる。その意味では、「スターリンを知らずしてロシアは語れない」というキャッチコピーは正しい。
スターリンと旧ソ連の実情を知らない読者のために概要を述べておくと、スターリンはロシア語で「鋼鉄の人」を意味する変名で、本名はヨシフ・ヴィッサリオーノビッチ・ジュガシビリである。ロシア語っぽくないのは彼がグルジア出身だからだ。この時代、君主制や右翼独裁政権と戦っていた革命政党の党員は、自分自身や組織を弾圧から防衛するため、本名ではなく変名を名乗ることが多かった。例えば、ロシア革命指導者のレーニンも変名で、本名はウラジミール・イリイチ・ウリヤノフ。スターリンの政敵であったトロツキーの本名はレフ・ダヴィデヴィチ・ブロンシテインという(ダヴィデヴィチはユダヤ教のダビデに由来しており、このミドルネームが示す通り、トロツキーはユダヤ人である)。トロツキーという変名は、彼が帝政ロシアで逮捕されていた時代の、収容所の看守の名前から取ったと言われる。
ロシア以外の国の革命政党も事情は同じであり、例えば日本共産党の不破哲三議長の本名は上田建二郎。本名で活動している上田耕一郎副委員長は実兄である。
また、ソ連の正式国名「ソビエト社会主義共和国連邦」の「連邦」に当たる部分はロシア語で「ソユーズ」である。この名前は、ソ連が打ち上げた宇宙船の名前にも使われていたが、「連邦」とも訳せるものの、本来のロシア語の語感としては「同盟」に近い。ソビエト(労働者階級代表による評議会)体制によって社会主義を目指す諸国の「同盟」という意味合いを込めてソユーズという単語が充てられた。ソ連の正式国名の英語表記も“The Union of Soviet Socialism Repubrics”であり、“Union”とは労働組合の「ユニオン」と語源が同じである。間違っても米国のような単なる“United States”(国家の連合体)とは異なり、当ブログの見解では「ソユーズ」はやはり連邦ではなく同盟と訳されるべきものである。
さて、前置きが長くなったが、本書はグルジアでの彼の生い立ちから幼少の神学校時代、そして神学校の不条理な現実を意識して革命運動と民族問題に関心を抱いていくスターリン(愛称ソソ)の様子から、死去するまでの彼の人生を丹念に追っている。この時代、多くのロシア社会民主労働党(ボルシェビキ~後のロシア共産党)党員たちは、民族問題を重要な問題だと考えていなかった。この分野で頭角を現したスターリンは、やがて民族問題に関する論文をレーニンに高く評価され、革命家の道を歩み始める。
多くのスターリン研究が明らかにしているとおり、本書もスターリンの能力が最大限に発揮されている分野は組織作りと実務能力であるとしている。特に、特定の問題に集中し、高い問題解決能力を示すスターリンは、理論・思想形成や革命などの激変期の対処には向かないが、平時における党・国家の実務や統治といった分野では優れた能力を示した。その意味では、スターリンを革命家に分類するのは正しい評価とはいえないような気がする。本書が示しているスターリンの実像をワンフレーズで表せ、と言われたら、当ブログは「党官僚」「党組織者」と答える。
トロツキーも、「裏切られた革命」の中で「もし、誰かが将来のスターリンの党書記長就任を予言したとしたら、そこに居合わせた全員が(スターリン自身を含め)彼らを悪質な中傷者と罵っただろう」「彼らでは革命は達成し得なかった」と述べている。スターリンに対する正しい評価だといえよう。
日本において、スターリンは「政敵を次々と粛清・処刑した残虐非道の独裁者」というイメージが定着している。ソ連をモデルに社会主義・共産主義革命を目指していたはずの新左翼政治党派の中でさえ、「スターリン主義」は党内分派・反対派弾圧とほぼ同義語として使われてきたし、「反帝・反スタ」のようにスターリン主義を帝国主義と同列に並べてその打倒を訴える党派も今なお存在する。
しかし、本書が示すスターリンの実像は、そうした残虐非道のイメージからはかけ離れている。実像としてのスターリンは、しばしば優柔不断で、状況対応的で、内外情勢の変動に合わせて政策をジグザグに変えてきたプラグマティストとして描かれている。しかし、こうした彼の柔軟さこそが31年もの長期政権を実現する原動力であった。また、食料生産の担い手である農民が飢餓に直面するほどの厳しい食料徴発政策を採ってまで、スターリンが重工業優先の経済建設を行ってきたことは、後の歴史家から「大量虐殺」と批判された。だがもしこれと正反対に、彼が農民を食べさせることを最優先にし、軽工業化政策を採っていたら、ソ連が「大祖国戦争」(独ソ戦)に勝つことはできなかったとする横手の見解に、当ブログは全面的に同意する。
民主主義擁護を使命としている当ブログにとって、このような横手の見解に同意することには苦痛を伴う。しかし、当時のソ連を取り巻く内外情勢を見ると、ナチス・ドイツと軍国日本によって東西から挟み撃ちされる恐怖に怯え、軍事上の保障を願っていた米英両国は当てにならず、独力で第2次大戦を戦わざるを得ないかもしれない――そう考えていたスターリンにとって、これ以外の選択があり得ただろうか。私はなかったと考えている。食料徴発による飢餓政策を「虐殺」とする歴史家の見解は、しょせんは「歴史の後知恵」に過ぎないのである。
当ブログとして、読者のために、どうしても言及しておかなければならないことがある。「誰がスターリンをこのような独裁者に育てたのか」という、当然出されるであろう疑問への見解である。本書を読む限り、しばしば優柔不断で、状況対応的で、内外情勢の変動に合わせて政策をジグザグに変えてきたプラグマティストのスターリンが、みずから独裁者になりたいと望んだ形跡は見当たらない。むしろそこに描かれている実像からは、周囲の取り巻きたちが勝手に彼を神格化し、祭り上げ、彼の権勢を利用して政敵を追い落としているうち、次第に彼が絶対不可侵の領域に置かれていく過程が垣間見える。その意味では、明確に目的を持って独裁への道をみずから望んだヒトラーとは実情が違うように思われる。
これに加え、要因を探るとすれば、彼が党組織化能力と実務能力に長けていたこと、帝国主義諸国によるソ連包囲が彼による状況対応的措置を正当化する力として働いたことが挙げられる。前者=党の組織化はそのまま党内権力の強化・再配分であり、後者=帝国主義諸国による包囲は軍事的かつ即時的対応を通じて権力の強化作用をもたらすからである。不幸だったのは、第2次大戦をバックとしたこの一連の強権発動装置としてのソ連型社会主義が、第2次大戦後の東ヨーロッパ諸国にそのまま持ち込まれ、社会主義のモデルとされたことにあると思う。
最後に、スターリンの死因についても述べておきたい。彼の死に関しては、毒殺ではないかという疑惑が今もソ連史研究者の中に強くある。中でも、内務人民委員部(内務省に相当)で、事実上秘密警察のトップとして君臨してきたヤゴダ、エジョフなどの前任者が、スターリンによって用済みと見なされた後、銃殺に追い込まれていくのを見たベリヤが、「自分もいずれそうなる」と恐れ、スターリンに毒を盛ったとの説は広く信じられている(ちなみに、ベリヤはスターリンの死後、共産党第1書記に就任するニキータ・フルシチョフとの権力闘争に敗れ、結局は処刑で人生を終えている)。
しかし、本書が示す「実像」は、そうした毒殺説が否定されるべきであることを示唆している。すでに死の前年、1952年後半から、言動が支離滅裂で、彼の最大のよりどころであった集中力がなくなり、ミコヤンやモロトフなど、長く彼に仕えてきた側近さえ米国のスパイと疑って追放していくなど、本書は丹念にスターリンの「老化」「劣化」の過程を浮き彫りにしている。横手は、こうしたことを根拠に、ナチス・ドイツとの壮絶な戦争と、その後の米国との厳しい冷戦による重圧が、彼を死に導いたとしているが、この推測に大きな誤りはないように思う。死去時のスターリンは72歳であったが、当時のソ連の医療・保健水準を考えると、どこにでもある平均的な死であったと考えていいのではないだろうか。
いずれにしても、本書は「非道な独裁者」とされるスターリンの実像を明らかにした貴重な著書である。スターリンに興味を持つ人は日本ではごく限られており、本書を手に取る人は少ないと思う。だが、一定の諸条件(やりたいことへの強烈な政治的意思、周辺諸国からの戦争圧力、勝手に祭り上げ、権威化しようとする取り巻きの存在など)が重なれば、こんな凡庸な人物でも容易に独裁者に転化しうることを丹念に検証したという意味で、当ブログは本書を評価する。今、「中国の脅威」を振りまきながら、安倍首相が党規約を変えてまで自民党総裁に3選しようとしている姿や、頼まれもしないのに周囲が勝手に安倍首相の「自衛隊礼賛演説」にスタンディング・オベーションしているのを見ると、周囲の取り巻き連中によって独裁者への階段を押し上げられていったスターリンの軌跡と重なって見える。今こそ、「凡庸な人物」を独裁者へと押し上げていく「日常的な恐怖のシステム」に目を向けさせるとともに、それに対する政治的警戒を惹起するため、当ブログは本書がより多くの人に読まれることを願う。